横澤哲也 命

%E6%A8%AA%E6%B2%A2%EF%BC%91.bmp昭和十八年四月十四日
ニユーギニア東部方面にて戦死
海軍甲種飛行予科練習生第五期生
氷見市鞍川出身 二十歳
 
「陣中日誌」
「陣中日誌」は、遺骨が帰る以前に、遺品として軍帽と共に戦友の方によつて届けられた。日誌には、弟 隼人さんが、陸軍幼年学校(仙台)に合格されたことを大変喜んでをられることや、シャワー代りのスコールや、配給のお酒を楽しみにしてをられる様などが処々に記されてゐますが、中でも胸打たれるのが、正に命を捧げられた最前線での軍務です。横澤哲也命は南方の離れ小島の基地に在つて日夜、索敵、接触と云ふ、言はば最前線中の最前線に従軍してをられたのです。暑ければ冷房、汗をかけばシャワーと言つた現代人には、想像もつかないやうな炎熱の最前線に、祖国防衛の使命感に燃えて困苦欠乏に克く耐へられた御祭神の崇高な精神に、今に生かされてゐる我々は心からなる感謝の念を捧げなければならないと、この日誌を読めば、改めて痛感させられる。

【昭和十八年一月】
 
    要記
上旬
 前線基地にて迎へる新年。機上より拝する元旦の朝日。初日出又意義あるものならずや。元旦より索敵は又よし。上旬攻撃も実施出来るであらう。大いに英米を撃滅して呉れん。期する所大なり。
中旬
 夜間攻撃開始される筈。征戦の名に於て遑(いとま)無く教育。
下旬
 昼間攻撃始まる予定なり。又もや多くの犠牲を出さずばなるまいか。我も亦その一人となるであらう。短かき人生だつた事よ。大君の辺にこそ死なめ、顧みはせじ。
 
一月一日  曇時々晴 予記〔索敵〕
 昨年も意義深き我々の訓練中にいつか暮れて、征戦第二年の元旦を迎へぬ。
 本日は早速索敵行、元旦より索敵行だ。亦意義深からん。本年も亦期する所大なり。
 早朝より敵機の攻撃を受く。何等被害をも見ず。ボーイング数機よりなる。直ちに之を撃退、内一機を撃墜せしと云ふ。戦闘機搭乗員の功大なり。戦捷の新年を始めて戦地に迎へて、感激少ならず。次に一句を挿まん。
   元旦やザフニをつんで索敵行
   初飛行索敵線上敵を見ず
 天候不良の為暁を見る事が出来ず、誠に残念至極なり。
 
一月二日 晴 暖
 分隊編成ありてより最初の分隊会が催された。士官の共通性として、あまりに下士官兵を侮つた様なる点ありと、一種攻撃に出づるものもあり、我々の信ずる所を申し述べ、有意義に終れり。
 今迄の我々の習慣として、課業整列等は度外視して、整備ある所は整列以前にもう仕事に掛かり、早く終つて休むと云ふ事をも考へられず、只形式的にのみ流れて真の能率を考へざるは士官の一欠点とも云ふべきであらん。直接仕事に携はる我々の心理も時には考へて欲しいと思ふ。此の点、今日の分隊会は有意義なるものであつたと思ふ。分隊士もよくなるであらう。我々の信服出来る士官となるであらう。
 良かつたなあ、岡分隊長や鍋田隊長は。
 
一月三日 予記〔〇七一五 遥拝式〕
 三日も終れり。これにて正月も新しく活躍出来る日が来たのだ。五日より又、攻撃が開始されるとの事である。大いにやらん。
 □となつてよりの攻撃は最初なのだ。今迄の様子より考へて生死の程は不可解である。然し軍人たる以上、自分の本分に死するは本望ではないか。まして現在に在りて、総てが職域奉公といつてゐる時ではないか。
 未だ充分自分の本分を尽したとは云ひ切れぬ。これからが働き所なのだが、頑張るぞ。
 本日は得る所なくして終れり。毎日何か得る所ありて始めて進歩あり。自己修養の極に近付くのではないか。無為にてその日を終へては意義なし。
 
一月四日 曇雨勝
 本日珍しくも姉の良人たる橋本先生の親友なる南兵長に会ひたり。奇しくも同部隊に戻りしをば、早速知らせてやらう。どの様に驚くことであらう。
 久し振りにて小説を読んで見た。余り良き小説とは思はなかつたが、読んで内容を見ると、考へる所ある小説だつた。これも単なる感傷より来るのではないと信ずる。時局を強く認識した強き女性と、只恋愛至上主義の女性とを書いたものであつたが、最後後者も強き女性となり、自ら幸福なる道を選び、共に幸福なる婚をなしたと云ふ。単なる小説に過ぎぬが、その内容に溢れる一女性の生活観と時局に覚めし一学者の経過、今の人生に多き事ではなからうか。
 我々軍人には関係なき様なれども、やはり人間としての感情、その深き自己反省に考へさせられる事が多い。一女性にしてあれだけの自己反省・自己修養が出来るのだ。まして我々に於ては。
 
一月五日
 いつもならば新年宴会と云ふ時なれども、第一線にありてはその様なる事はなし。
 今日は珍らしくも敵空軍の昼間攻撃ありたり。損害微少。敵もさるものだ。味方陸軍戦闘機は一機自爆。搭乗員は助かれり。敵攻撃機は二機を撃墜せり。
 明日はモレスビー攻撃の予定である。数百発の爆弾の雨を降らしてくれん。今日の仇を必ず打つ。航空撃滅戦だ。
 昨日は南兵長と盃を重ねて相当に酔つた。共に語らひ、共に帰る日を誓ふ。長く生きて永く奉公するこそ、我々の務めであると。然し死ぬ場所を忘れるな。
 
一月六日 曇 予記〔モレスビー攻撃〕引返し
 本年最初の攻撃なりしも天候不良の為に引返せり。我今度の編成更へにて、二小隊一番機となれり。今迄の一番(小隊)一番機と異り、相当に被害公算も多い所である。然し国の存亡に関する限り、只五尺の身体にて余るものならば何を悔いん。大いに頑張つて自分職域に殉ずることこそ、我々の本分ではないか。明日も亦行はれる筈。大いに頑張らん。
 今頃故郷にては冬支度に忙しい事であらう。それに反して此方は暑くて仕方がない位である。緯度の相違をつく〲感じさせられる。それにしても日本の偉業を深く感じ、それに従事する我々の任務の大なる事を痛感す。粉骨砕身だ。
 
一月七日 晴 〔攻撃取止メ〕
 本年度初回の攻撃も毎日取止め引返しの連続にて、もうなきものゝ如し。どうもこれでは索敵のみにて、今月中には攻撃は一寸ありさうもない。それに来月早々は帰隊する等のうはさまであるので、我々の任務は只索敵のみに終りさうだ。あまり張合がない。
今度は生きて再び故郷に帰る事はたうてい望みなき事であると思つてゐたが、さうでもないらしい。女々しき事の様で母上よりお叱りを受けるかも知れぬが、どうも帰りさうな気がする。
然し今からだ。大いに張切つて、敵機動部隊の索敵攻撃に任ずるのだ。
 
一月八日 曇小雨アリ
 南兵長を訪れんとしたるも果さず。明日は訪れん。共に飲み語るも亦楽しからずや。故郷の語りに花を咲かせるも、戦地の我々には最上の慰安である。
 運動とは我々に少々縁遠いものと考へてゐたが、今日分隊内にて、排球の試合を行へり。我に経験少き為、あまり香しくなし。今度は新メンバーを編成して、優勝しなければならぬ。
 攻撃も大体終りの様になつて、明日は索敵の予定なり。本年度は一月一日より索敵に出てゐたので、相当に飛行しなければならぬと思つてゐたのに案外である。
今日より何か得る所あるだらう。索敵のみにて我々の任務が終つては不本意である。やはり攻撃にて高角砲或は戦闘機の弾雨を経て始めて、重き任務が果された様な感じがする。ガダル攻撃は何時より始められるかな。待ち遠しい事だ。
 
一月九日 晴 予記〔索敵〕
 本年二回目の攻撃である。いや、索敵の間違ひ。久し振りにて長時間飛行したので、相当なる疲労を覚えた。飛行中も仲々に睡魔になやまされた。幸に敵を見ず。然し燃料が一回切れたりしたときには、操縦員は顔色なし。我々も本当にあわてた。酸素が凍結した時にも驚いた。大事なくして済みし事を感謝して帰還せり。
電信はあまり良く出来なかつた。次より真面目に当直するぞ。
 故郷に便りをしようと思ひ乍(なが)ら未だ出来ない。幸に明日暇があるらしい。出来得る限り便りせん。母上にも心配されてゐる事であらう。気丈夫なる母と雖も肉親の愛情には変りないであらう。
 
一月十日 晴小雨 予記〔整備作業 排球試合 映写〕
 天気図に関する分隊長の講話ありたり。皆一度習得したるものばかりであつたので解りよし。
 午后排球試合ありたり。二飛行隊との試合を行へるも、我分隊は断然優勢、常勝利は我が分隊にあり。
 夕食後映写あり。うら街の交響楽。之は一時代前にはよくうれた映画であらう。然し今は時代が異る。一部退廃的に見られる映画は、現在では見たくも見られない。これだけ各方面の刷新があつた訳だ。
これでこそ現在の勝利を得る事が出来るのだ。退廃的な生活の片鱗をも見る事の出来ない現在の生活こそ、真日本の姿、雄々しき姿でこそあるのだ。
 
一月十一日 晴 暖 予記〔南兵長を訪れん〕母より受信
 温泉、我々の生活の汚れを落すのに最も良い所だ。今日は自然の温泉に存分にひたつて来た。そして今日までほこりにまみれた身体を充分に清め、明日よりの戦闘に備へる様にした。自然の美風景を眺め乍(なが)ら天然の温泉に入るこそ、亦よろしからずや。
 ○○○○湾の艦船の碇泊の多いこと、然しそれにしてこそ、更に戦時の美風景を想はせる。近頃は相当に戦も暇であるので、割合に身体も疲労しない。然しやがて行はれるであらう所の夜間攻撃には大いに張切つて行かん。
 今日母より便りあり。弟も大分良く出来たとの事であるが、合格出来る事を心より祈つてゐる。兄も愈々身を固めるらしい。目出度し。久子今迄妹の如く思つてゐたのが姉か。まあ、よいよ。これも自然の原理だもの。
 
一月十二日 晴 予記〔整備〕
 昨夕は同県二、三人と共に語り、共に飲んだ。我も亦飲める哉。田尻兵長なる人も亦飲む。人物も亦良き人なり。南兵長は勿論よき人である。お国言葉等で話して時の過ぎるを忘る。いつしか巡検の時となりて帰る。
 一朝富山市の神通川辺にて散歩せし頃の事を想ひ出す。岩をはんで流れる清水、飛び交ふ小鳥。芝生の上にねころびて流れゆく雲の行方を眺めてゐる時、何と大自然の偉大さ、広大さ、あらゆるものも包み込む広さを感じさせられる事だらう。
 あゝ、自然に生きて自然に死す文学者の幸福さ、我々運命にまかせてゐる者よりは何と生き甲斐のある事か。然し非常時の我々への負担も亦大なりか。
 
一月十三日 晴 予記〔索敵〕
 暮れゆく昏の日を眺め乍(なが)ら、彼らは何を語り何を考へてゐるのであらう。想ひは遠く、故郷か国に残せし妻子の上を走るか。我も亦その人の中にあり。想ひは遠く故郷に走り、弟よ陸幼の合格を祈るぞと。兄上よ幸福たれと。母上よ健在たれと。
 数尺の雪に閉ざされた北陸の地よ、今より我々北陸人特有の、耐久性の精神と身体とが練成されるのだ。友よ同朋よ、大いに鍛へよ。然して国家有為の人物たれ。我も亦之にならはん。
 富山の聯隊にて訓練されてゐる友の身上に想ひは走る。我の霞空鍛錬時代と同様であらう。思想堅固に身体大切に立派なる軍人のならん事を心より祈つてゐる。
 
一月十四日 晴 予記〔映写アリ〕
 久し振りにてニユースでも見て新智識でも広めんと思ひしも、別に大したるニユースもなし。
 陸士卒業の光栄の者、如何なる感激を味はひ得たであらうか。正に一生一度の、否人生最大の光栄と名誉との感激であらう。
 登山のスリル、生命を一本のロープに託して、又互に協同精神の極致を発揮して、之を克服し得た時の喜び、感激、如何であらうか。経験のなき者には解るまい。人生も亦然りと考へてゐる。何時如何なる所に於て彼のロープが切断するとも限らない。人間は何時如何なる所にて夭折するやも知れず。然り常に最大の努力と注意を払ひ、然して挫折する事なく進む者にこそ、あらゆる幸福が待つてゐるのだ。
 
一月十五日 晴 予記〔ガダルカナル夜間攻撃〕
 二、三日降り続きし雨も止み、好天気となり、攻撃も開始出来る様になつた。今日も亦我々の攻撃の折だ。高角砲の挨拶、探照灯のお出迎への中に、我々の機は飛び込んで行く。そして爆弾のお礼を差上げる。敵さんもさぞ嬉しい事であらう。それに何ぞやに夜設なぞして、我に丁度良き所に投下して呉れと頼んでゐる如きものだ。
 二回目の折にはそれでも消したが、今日のは面白かつた。電信機不良に陥り、相当に苦労させられたぞ。それでも原因が解り、先づ安心した。充電□換器を断にして置けば、電波を消耗するのは必定だ。今後あの様なる間違ひのなき様、注意すべき事だ。
 
一月十六日 晴
 昨夜の夜間攻撃の為か、一日中とても睡眠不足に悩まされた。明日、又もやラビ攻撃なるが、さぞ睡眠をむさぼる事であらう。
 分隊士に注意され乍(なが)ら電信当直にたつのはつらい仕事だ。然し一ケ小隊を率ゐる故さぼる訳にも行かず、まあ確(しつか)りやる事だ。
 毎日の仕事、面白く運んで行く。この調子ならば一ケ年や二ケ年の戦地勤務も余りつらい事ではないぞ。
 最近煙草不足になつた。ほまれなぞ吸つてゐる。桜や光なぞもいよ〱手に入らなくなつた。今では煙草は生活の必需品の様になつてゐるので苦しんでゐる。此れも亦修養の一つか。まあ、やれ。
今日の遊びはつかなかつた。㊀三□だ。
  
一月十七日 快晴 予記〔ラビ攻撃〕
 南緯五度の南国も、最近は朝晩は相当に冷え込む様になつて来た。やはり季節だ。
 本日の攻撃、案外に敵戦闘機の反撃はなく、無事終了した。然し二小隊での攻撃は最初なので、あまり気持のよきものではない。二番は弾痕十四発もあるし、我が愛機にも高角砲の弾痕がつけられた。
 ガダル攻撃も下旬より始められるとの事、今度こそは生きて帰る気持は更になし。然し軍人として、又醜の御楯として生を完うする事は、此の上もなき名誉の事ではないか。母にもあの様な健気な事を申して居られるではないか。潔くガダル上空の花と散らん。更に〱此の世に未練はなし。
 
一月十八日 晴
 他の者はみな索敵に出て、二小隊一、二番機のみ休業の様になりたり。朝より居眠りと小説の読み方の他に仕事はなし。
 本夕ハワイマレー沖海戦の映画ありたり。感激只感激
再び勇気が我々の血の中に溢れ出て来た。ガダル何のその、生命何だ。大君の御為に死す事こそ我々の初(ママ)期の目的ではなかつたか。海軍に籍を置く時、既に定まつてゐた事ではないか。今更何をかくいん。
大君の辺にこそ死なめ顧みはせじ、我々の神髄だ。生きてみにくき名残さんより、死して花と咲かん。酒に酔ひてのたは言にあらず。
  
一月十九日 晴午后雨
 酒と小説の毎日を送りて死を待つ我々、何で意義ある生活が出来る事ぞ。それも有意の小説や適度の酒ならばよきやも知れず、然し我々の酒なんたる事ぞ。酔ひしれて前後を知らず、又小説たるや一寸の意義をも見出す事の出来ざる、変化もなき講談や恋愛小説たるとは。この様なる生活に何にして自身滲み込んでゐるとは。自己修養の片鱗だに認める事は出来ず、早く意義ある生活に還りたきものだ。
 午后の雨にてガダル夜間攻撃取止メとなりたり。雨の中を攻撃準備、復旧に行く若き兵隊の苦労さよ。我々は等級古くして戦地に来たので、斯様なる苦担(ママ)は味はずして過ぎたり、幸福なりや。
 
一月二十日 晴
 午前より青天、一片の雲も認めず。間違つても曇りさうもなき天気だ。さぞ椰子の木陰より見られる月もさえて、何かしら人の心に強き者にたよりたくなる心、そして淋しくなる孤独感をひし〱と感じさせられる。
 異国の空に見る月も、故郷の松陰より蒼き海に影を投じる月も異りはないが、南国に見る月は、何か土人の腰振りダンスを想はせ、内地に感じると異なる一種のロマンス等も想はせ、戦地に禁物の感傷も伴ふ。なぜ月は我々に、此の様なる感情を味はせるのであらう。然し同星体にして、星は何であらう。何とあの青白い光に小さく、然も強く生きる者の姿を象徴してゐる事か。何と深き情操を持つ空か。
 
一月二十一日 晴 予記〔索敵〕
 三時起し、ねむい眼を開いて飛行す。幸にか天候不良にて八時上空着、引返す。やはりDコースは地形の影響を受けてか、二百浬附近は電波の到達距離には達しなく、通信状況不良なり。此の前と同様に通信に悩まされた。それでもどうにか着前に了解を得る事が出来たが、やはり気に掛る。
 天候は非常に不良なりし為か、今は雨となりつゝある。これで明日よりがほこりにまみれる事はなくて済む訳だ。雨よ、降れ〱、悩を流すまで。
 別に異常なく、一日を送れり。下旬よりの攻撃はどうであらうか。又一方、内地空輸の話もあるが。
 
一月二十二日 晴
 休業とは云ひ乍(なが)ら、何となく忙しき一日であつた。何かありさうな日だつた。やはりおそく空襲ありたり。
 敵の空襲の頻繁なるときは、得てして機動部隊の動き始める頃だ。三ヶ月に一回位、雷撃は必ずある。然し運が良いのか、悪いのか、未だ雷撃に出合つた事はない。出合つた時も引返しであつたりして、本当に発射した事はない。
 何と云つても航空機の花形は雷撃。船舶相手の戦だ。然し今迄一度しかない。それも無抵抗にて一隻撃沈したのみにて、張合がなかつた。やがては張合のある時が来るであらう。
 
一月二十三日 予記〔夜間雷撃〕引返
 昨日の予想は正に的中した。敵機動部隊、大巡若くは戦艦四隻を基根とする部隊、又もや味方最前線基地を砲撃せんと出動せるものらしい。然し此方では黙認する事はない。直ちに触接機出動、マレー沖海戦の様なる気あり。
 然し乍(ながら)天気許さず、敵はスコールの中に退去し、雷撃不能なり。誠に遺憾の極みである。最初の雷撃実射出来るとの思も完うする事は出来なかつた。残念なる事此上もなし。
 我命又もや延びたり長らへて君国に報いん。
 身はたとへ武蔵の野にはてるとも心残りて国を守らん
の気だ。
 
一月二十四日 晴
 午前○○時に不時着して早朝出発、帰還せり。○○に不時着するのは、敵機動部隊出撃に際する航空機牽制の為、来襲中なりし為なり。
 アイスキヤンデーや赤いあめ豆、花火の無料展覧会だ。暑い此の土地にあつては、あのアイスキヤンデーが取つて喰ひたい様だ。然しあれを一発喰つたが最後、自爆となるから一寸は手が出ない。
 夜間空中戦闘は両国の花火も顔負けする位賑かだ。然し我々にとつては生命に関する問題なので、楽観する事は出来ない。然し生命を保証されたる時のみは非常に面白い。愉快なる一場面だ。
  
一月二十五日 晴 予記〔戦闘機誘導〕
 昨日の雨の為、飛行場丁度良き位に湿つてゐて、離着陸には幸ひであつた。
 戦闘機誘導の本日は天候余り香しくなく、所期の目的は達成する事は出来なかつたと思ふ。戦闘機も、あの天候では存分に活躍する事は出来ないであらう。大型機でも航法が困難なる位なのに、戦闘機では帰り着く事も困難ではなからうか。然し海軍の戦闘機は、充分洋上航法に熟練してゐる故、先づ大丈夫であらう。
 戦闘機なくして我々の活躍は望めないのであるから、戦闘機の無事帰還を祈る。幸に攻撃が出来て、大なる戦果があれば更に喜ばしい事である。近く攻撃が開始される。
 
一月二十六日 晴 予記〔試飛行〕
 四空より新機を持つて来たので、古い機材を還納するので、兵器整備及新機の試飛行を行つた。新機には新電信機を搭載してあつた。とても良好なる電信機だつた。
発動機の調子が悪くて、正規の高度はとれなかつたが、降下しての発射訓練はとても面白く感じた。いつもの訓練であるけれども、刺激のある事が欲しられる。
然し昼間攻撃は未だ欲しる頃ではない。生命の問題ではないが、未だ分隊の内部が総攻撃に適してゐない、と云ふよりもそれだけの融和が、内部精神的の完備が出来て居ない。やがては俺の生命も還す時が来るであらん。
 
一月二十七日 晴 河西、母へ発信
 電波探信機の講習あり。時代の進捗と歩を共にして出来た科学の粋である。
 流れる星は生きて居る。今宵も泣いた部隊長・・・。戦場の常とは云ひ乍ら、この淋しい旋律、聞いて居て、只亡き友の冥福をのみ祈らずには居られない。
 最近何かしら孤独感が身に迫りて、何をなすにも興味なし。遠くへ来た他人の中に居るとの事が、今更の如く感じられる。たつた一人の同期生との間も親身の兄弟以上の仲だつたのが、彼の性格と俺の性格とに相容れぬものがある事が解つて、以前の如くでなくなつた。俺の然らしむる所か。総て運命にまかす。
 
一月二十八日 晴
 美しき自然、何をも含有する自然、喜怒哀楽総て自然の中に含まれてゐる。何故か、自然の偉大なる包含力よ。美あり、又絶景あり、その自然をあてに生活する文学者、芸術家の心情、何とねたましい事よ。何の嘘もいつはりもなく、その侭の姿で接してくれる。そこにかの偉大なる点が存在するのではなからうか。
 自然と云ふ言葉ほど尊いものはないであらう。人間も自然その侭で生活をしたら、虚栄なく何の偽りも装飾も不必要であらう。そして総ての人間が自然の美で人たる所を表し、かれんな田舎娘の自然美が代表的美たるものになるであらう。自然と大自然、共に何と尊い美しい言葉であらう。
 
一月二十九日 晴 予記〔艦船雷撃〕 レンチル島沖海戦綜合戦果 
B2撃沈 B1大破 重巡3撃沈 重巡1 グラマン三機撃墜
 一月も終らんとしてゐる。内地に居る時は晦日で何となく忙しい時であるが、我々も亦忙しい時である。先日来何となく敵の出動が予想されてゐたが、今日は近来になき主力部隊の出動、早速攻撃準備、触接機の綿密なる報告が刻々来て、敵情は手に取る如く解る。
 やがて戦場に入る日は没せんとして、辺りは黄昏(たそが)れて人心にあはれをそゝる頃なり。日、水平線に没し、西方のみかすかに物のあやめが解る頃、見た敵主力を
 直ちに突撃一機又一機、主力の真只中、敵戦艦を良き獲物とばかりに。やがて暗き海上に敵の機銃、高角砲の閃光がすざましい許(ばか)りに光る。幸運か、被弾なし。我魚雷は確実に命中だ。燃える、沈む、敵は死にものぐるひだ。
 
一月三十日 晴
 昨日の夜間攻撃に引き続き、□空の昼間攻撃が開始された。戦艦一隻轟沈。
 何たる戦果であらう。何たる大戦果であらう。綜合戦果最大なる事、我が方の損害微小なる事、未だ見ざる事なり。ハワイ・マレイにそれ以上の戦果であるやも知れず、又航空機の夜間雷撃は世界戦史の一頁を飾るであらう。我も亦その一員として戦争に参加出来た栄誉を感激感謝する所だ。
 一月も終らんとしてゐる。我等現在の任務の第一歩は発せられ、その戦果たるや、左記の如く大なり。さぞこの後も大なる戦果が我等を待つてゐる事であらう。必ずや成らん。
 内地では又軍艦マーチで賑つてゐる事であらう。故郷にてもさぞ喜こんでゐるであらう。
 
一月三十一日 晴
 一月も終れり。内地にては晦日にて商人共の汲々としてゐる頃であるが、それも昔の話か。今では総て切符とか配給とかで、借金等で困る人は少いであらう。戦地では充分にある菓子等でも内地では配給で、さぞ今の子供はさびしい事であらう。我々の時は銭貰つて菓子等を買ひにいつたものだが。
 昨日来戦捷の祝酒の配給があると思つてゐたが、未だにない。昨日の赤飯供でだまされるものか。我々はやはり戦捷に酔はざる故、酒で酔ひたきものだ。
近頃酒の配給が少くなつて来た。然し内地に帰つてはさぞ淋しい事であらう。遊興税は二十割と云ふし、さぞ国民の自粛が見られるであらう。いつかへるのか、戦地の方がよいぞ。特練はどうするかなあ。
 
 
 【二月】
 
    要記
上旬
 十二日迄○号作戦。待機のみ。なす事なくして終りぬ。
中旬
 上旬に引き続き待機。○○○進出も近くなりたり。
下旬
 十五日、○○○進出。十七日、敵発見、触接、待機中の戦闘機は直ちに攻撃、殆ど之を撃滅せり。輸送船(二万屯級)二隻、他一隻、駆逐艦三隻、計六隻の戦果らしい。我等攻撃出来ざるを遺憾とす。
 
二月一日 晴 予記〔触接〕
 又もや敵機動部隊出動せり。我が部隊は再び之を撃滅すべく出動せり。敵航空基地たるガダル附近、ツラギ軍港附近を捜索索敵せり。見た敵輸送船団を。更に駆逐艦三隻を。
直ちに之に触接、任務を完了せんとするも、荷揚げの済みたる輸送船や駆逐艦相手では雷撃は勿体ない。それで攻撃隊は引返せり。我も亦引返しの電を受けるも、その時遅き為帰投は十時頃となりたり。我が通信技倆及空間状況不良の為なり。総指揮官機の電信員も余り優秀とは云へない技倆であつた。何にしても余り上出来の通信とは云へず。触接機の最大任務たる通信だ、もうすこし上手にやらずば。
 
二月二日 晴小雨アリ 予記〔捜索 触接〕
 最近の敵はこりもなく出動して来る。今日も索敵機が敵空母を発見せり。我々は、もう昼だつたので兵舎に帰つて疲れでも休め、昼食を待つ間もなくして、雷撃出発の命下る。我が機は又もや捜索触接なり。今日にて第二次レンチル島沖海戦をなして呉れんものと出動するも、敵を見ず。
 昨日の敵地上空七回、本日の三回、悠々と旋回するこそ頼母しけれ。敵空母はレンチル島沖海戦の戦果に驚いてか、いち早く遁走せり。我等の攻撃圏外に於て航空機を発進せしめ、彼自らは南へ〱と退却せるものゝ如し。
 語るに足らず、好敵手現はると出動すれば退却する。退却せざれば、レンチル島沖海戦の如き敗北。我が精鋭の航空部隊の前には敵なし。
 
二月三日 晴 予記〔待機〕
 朝早く雷撃待機故、飛行機下で命の降るを待つ。陸軍の職工さん達の中で、面白い者やとても無邪気な弟の様な感じのする者が居て、仲良しになつた。
 高橋君と云つて、とても無邪気で純情で、本当に我々の愛の的である。何故か、人間が誰しも自分の心を慰めたきものである。いつもゴツイ兵隊さんばかりゐる中に彼の様に子供つぽい人がゐると、誰しも愛好心、同性愛に似たものまで感じるのは、余りにもあたりまへの事である…。
 昨日、敵は遁走せる故、引返せり。その折、天候極めて不良にして機位不明、若くは不良状態に入つて行方不明となりたる者あり。悲しむに耐へざる事なり。
 
二月四日 晴 予記〔待機 捜索〕
  司令の言“死す時は笑つて死んでくれ”と
 今日も亦雷撃待機なり。敵必死の反撃を企て、続々として機動部隊出動す。我軍は之を着々として撃滅してゐる。レンチル島に次いで又大なる海戦が予想される。その時こそ俺の死す時であり、死しても何等悔いる所なきも、只未だ歴戦日ならずして去らんとは、自分としても悲しむべき事である。まだ〱戦ひに、少くも今度の作戦の終了するまで。今度の作戦の重大性を考へると更に右の感を強くする。
 雷撃に死するは本望なり。ガ島攻撃に生きて帰つてゐる残り少なき中の俺ではないか。陸上攻撃では死すとも死せず。艦船攻撃こそ我等の任務なり。やらん、決してやらん。決然として死につかん。司令の言ありき“死す時は笑つて死んでくれ”と。これぞ座右の銘なりき。
 
二月五日 晴 予記〔待機〕
 毎日の待機で、俺達の任務としては敵機動部隊の出撃に備へるのみだ。何をなす事もなく、愛機の下で休んでゐるのみだ。全く安全パイロツトだ。
 八月中の猛烈なる攻撃とは反対で、生命には異常なき様なり。然し一旦事ある場合は、生命を賭して戦はなければならぬ雷撃である。野内も此の間の雷撃ではどうであつたらう。俺達は運よく帰つて来たれども、彼らは昼間雷撃であつたから。
 今日は戦給品があつた。麦酒である。各自二本宛持ち集つて飲んだ。瞬く間になくなつてしまつた。それで又日本酒を飲んで、漸く酔つて安眠出来た。我も亦、酒を飲んでも相当な人間になりき。祖父の伝をうけてゐるらしい。
 
二月六日 晴 スコールアリ 予記〔待機〕
 「ハンガリー夜曲」の映画あり
 気持よきスコールで身を清め、兵舎で疲れたる身を横たへる事こそ、我々の今の最大の望みである。午前の疲れと云つても、飛行場往復のみであるが、それにしても疲れる。毎日の待機も余り香しくない。
 今日は飛行士より注意ありたり。技倆の問題はさて置き、不真面目と云はれて憤がいした。どこが不真面目なのか。我々にも理由はあり、若き士に怒られても何も問題はないけれども、自分の腕をなじられてくやしい。
 よく訓練に行く事に決した。そして分隊士にこれ見よと云ふ技倆を作つて見せん。何くそ俺にだつて出来るぞ。精神一到だ。これこそ俺の立つべき時だ。未だ経験は少いが、古い人に交つて頑張らん。
…飛行。
 
二月七日 晴後雨
 午前中爆撃待機。ガダル島総攻撃は始まらんとしてゐて、敵敗退の輸送船撃滅の為に待機を命ぜられてゐるらしい。下士官兵の想像故宛にはならぬも、やはり根拠なき問題ではない。煙のなき所には火はない。これは反対であつた。
 今日は爆弾の積み降し作業にて一日を終りぬ。午后激しきスコールありき。身体を清めるのには、我々にとつては最大の好機会である。総員スコール浴び方だ。戦地ならでは見られぬ一シーンである。百戦練磨の勇士も、此の時ばかりはスコールの冷たさに身をふるはせてゐる。
 
二月八日 晴後曇雨 予記〔待機〕
 久し振りの雨模様にて、我々にも一旦休憩の体たり。毎日の待機にも敵出動の様子はなくて、爆弾運搬積み降し作業にて終りぬ。
 本日も例の如く、テントにて休憩す。若き工員達と話を共にしてその日を送る、又楽しからずや。中にも十七才の小林君だ。若き身にて遠く故郷を離れてゐる身を想ふと、国家の為とは云ひ乍(なが)ら可愛くてたまらぬ。今日は小林君の写真を手にした。我が愛すべき弟にぞある。
 彼らは帰りたいと言つてゐる。勿論である。国家存亡の為に身を捧げてゐる我々でも、折には郷しうの念になやまされる事のあるものを、未だ未成年の彼等には勿論…。
 
二月九日 晴(天候晴と云ふも折々スコール如きものあり)予記〔待機〕
 近頃は天候余り良好ならず。毎日一度や二度はスコールの如きものあり。それでも待機は毎日ある。それで毎日、あの工員のテントに御世話を掛けてゐる。相変らずあの坊も元気でゐる。本当に何の悲しみも知らず、真に純真そのものである。あの様な若き者と常に話してゐると童心に帰る。
 飛行機に一度乗せてやりたいけれども軍規が許さぬ。皆航空兵に憧れを持つてゐる。然し彼の様な幼き者が、又我々の様に軍隊に入りて、厳格と云ふ以上の教育を受けるのかと思ふと、頼母しいと云ふより、可哀さうであると云ふ事が先に立つ。
 いつまでも今の職業を身につけて、又今の純真なる心を持ち続けて欲しい。
 
二月十日 曇 予記〔待機〕
 攻撃待機も、もう相当に長い。もういやになつて来た。今日は久し振りにて飛行す。操訓に捜索を兼ねてゐる。気流悪し。霧中飛行の如き感あり。通信技倆も余り下ちてゐなかつた。先づ安心した。然し久し振りであつたので、疲れて眠くて仕様なし。それに気流不良ときてゐる。余り心地よきとは云へず。
今日迄数日の間あまり作業を休んでゐたので思はしからず。作業に追はれてゐる時こそ、我々の身心共に健全なる時である。早くこの待機がとけて、攻撃なり又は索敵なりに出動せざるものか。面白き生活は生甲斐あり。生甲斐ある生活は面白し。働き甲斐ある生活にも又同様なる事が云へる。早く来らんかな、攻撃よ。
 
二月十一日 晴 紀元節 予記〔待機〕
 紀元の佳節、戦地にての遥拝式、又意義あるものだ。此の日を期して、○島総攻撃でも開始されるとよいが。
 日本は古より神国と称してゐる故に、今日の如き佳日には更に天佑神助あるものと考へられてゐる。又今迄の例にしても然りである。やらんかな、攻撃を
 佳日故、酒の配給ありたり。又同県人で飲まん。同分隊のそれよりも他分隊のそれの方が懐しい。久し振りにて南兵長を訪れん。野尻兵長も居るだらう。皆元気故、とても面白い。方言でも出して話してゐる所はとても愉快に見えるであらう。
 工員の小林君も元気でゐる。今日彼より、配給の何かしらんが、果汁のカクテルの様なものを飲まさる。
 
二月十二日 晴夕方より雨 予記〔待機〕
 転進作戦とかに変じたる今度の作戦は、如何に変転して行くか問題である。我々は本作戦には余り参与してゐない。概ね待機にて敵機動部隊の出動を待つのみなり。
早く何か出動しないかな。近頃は毎日かくして来り、かくして過ぎて行く。変化なき毎日である。それにしても此の変化なき毎日を、如何にして有益に送るか。
 我にその感未だなし。只為す事なく、その日を送りつゝあるのみ。その無益なる日々に潤を与へるものは只彼のみ。彼に会はざる日は、彼の笑顔を見ざる日は、何かしら忘れてゐる様な気がする。愛に近きまでに感ぜられる。弟の如き感なり。未だ十七才の幼き身にて、遠く此の地にまで来てゐる。かはいさうだ。
 
二月十三日 晴 基地スコールアリ 予記〔○○(RZE)行き〕
  慰問演芸あり
 東京の二流処の慰問演芸ありたるも、○○行きありたる為、中程にて飛行場に行く。面白い演芸であつたらしい。又、彼等も亦太平洋上に二,三日漂流してゐたらしい。御苦労である。
 俺達の現状を見て驚いてゐたらう。昨晩の空襲にも肝をつぶしてゐたのと違ふかな。我々は相当になれてしまつて平気であるけれども、内地より直ちに来たものには恐怖の極みであらう。
 東京は一回の空襲を受けて、あれだけの緊張だ。斯様な神経でゐたならば、当地では神経衰弱になつてしまふよ。今少し神経を太く持つて居なければ戦争は出来ない。俺の様な繊細な神経の持主も、戦地に居ると相当に太い心の持主となる。
 
二月十四日 曇雨 予記〔待機〕
 最近又夕方になると、一度は雨のお見舞がある。水不足の当地にては良い事であるが、一方バラツク建ての我等の兵舎、降雨ある度に漏つて、本当に休みも出来ない始末である。
 二分隊の移動した後の空いてゐる兵舎の漏らざる所に仮寝でゐる。戦地とは云へ、衣食住を完うしたいものだ。人間衣食住の安定なくしては、安心して生活出来ない。幸にして衣食の方は、我々は市中の人達よりも恵まれてゐる故幸福かも知れず、されども住の方は戦地にては完うしてゐない。それに夜ともなれば敵の来襲ある事又あり、安心して寝につく事少なし。されどそこが軍人の魂、空襲には慣れるも、雨漏りには平気で居られない、不思議な状態である。我も亦、戦地にて身心共に練磨されんか。
 
二月十五日 曇後雨 予記〔待機〕
 相変らず今日も夕方になると雨が降つて来た。映画は雨の為にお流れである。小林君の移動も明日になつたらしい。
 明日又彼の愛すべき弟の為に菓子でも持つていつてやらう。暫くの間彼ともお別れである。又植山兵長も病気でゐるし、心(ママ)胆相照らす人は向ふにては五十嵐一人か。宇田兵長も病気だし、俺の先輩は一人になつてしまつた。それも親身になつてくれる植山兵長が居られなくては本当に淋しい。今日も「再び元気で帰つて来いよ。それまでは俺も元気になつて居るから」と。
 戦地の事故、何の看護も出来ず、暫くとは云へ別れるのがつらい。早く元気になつて下さる様、心より祈つてゐる。宇田兵長もその通りである。我も亦○○○より元気で帰り、元気になられた植山兵長と共に帰らん、内地へ。
 
二月十六日 曇 予記〔○○○進出〕
 今日は愈々最前線、航空機としてはこれ以上の前線はない所である。敵機のお見舞も亦多からん。昨日もお見舞として鉄の特配を受けたらしい。愈々今迄の待機と違ひ、実戦に従事する事となつたのである。機上での居眠り等は勿論厳禁である。張切つてやつた所が五回である。頑張らん。
 今日は小林君ともお別れして来た。彼は相変らずほがらかだ。俺の帰る迄元気で待つてゐてくれるであらう。然し彼はココボに移動するらしいが、今日行かぬ所を見ると、どの様に変更したか解らぬ。
 植山兵長も宇田兵長もそれまでに元気になつて下さればよいが、遠く○○○よりそれをのみ祈つてゐる。
 
二月十七日 晴 予記〔索敵〕敵発見 触接
 進出第一日索敵、各索敵線の中で一番敵航空機の襲撃を受け易く、又艦船の最も多く現はれて来る所である。厳重なる見張の下に進出、四百浬位進出せる所、突然眼下に見える断雲の間に見えるは、正しく敵輸送船団である。二万頓級四隻、一万五千級一隻、大型駆逐艦一隻、他駆逐艦五隻、合計十一隻、之に更に触接、燃料の続く限り此の動静を電送する。俺の任務だ。
 先づ上手に出来た方だ。大体自分の任務は全うした。地上指揮官には御苦労との言葉、及今日の任務の完全なる事におほめの言葉を頂いた。
大洋上の孤島月光さえて、打寄せる波にはキラ〱とはえ、何とも云へぬ風光たそがれ。感傷又なくよきものある。
 
二月十八日 晴 
 昨日薄暮、雷撃を実行した。戦果は敵部隊の大部分がやられたらしい。輸送船四隻、駆逐艦二隻らしい。それで我が機の索敵、触接の任務は全うされたのである。昨日ので三回目の触接、初めての任務は完全に全うされたのである。
 本日は休業、午后は魚を漁りに行つたけれども、それらしい獲物はとる事は出来ず、只暇のみかゝれり。
大洋の孤島と雖も、外人の俘リヨが居るし、土人も多く居る。彼等はやはり、愛国心なるものがあるらしい。スパイ行為に似たる事をやるらしい。今日はその厳重なる処罰を見て来た。やはり第一線である。白人も陽にやけて赤くなつてゐる。六尺以上もある大男ばかりだ。彼等の中には国に居た時は、一流の紳士も居たであらう。敗戦国の惨めさを此所でも見られた。
 
二月十九日 晴 予記〔索敵〕
 当地に進出してより毎日の如く空襲がある。やはり最前線である事はある。
我等の任務もやはり重し。今日も俺の隣の索敵線は敵を発見せるも、攻撃圏外にあるので攻撃は出来なくて、惜しい事をした。敵も命は惜しいと見える。我等の攻撃圏外にしか行動を起し得ない。
 ガ島附近の索敵は得物も多いが、戦闘機に襲来される率も多いので、楽なる事ではない。勿論戦争は楽して出来るものではないが、楽を望むは人間の本性、まして生命の保証を得たきは本性ではないか。
 それを好んで我が線の如、一番敵と、それも戦闘機と会ふ機会の多い線を望むは何故か。功名心故か、それとも本当の尽忠の心か。
 
二月二十日 晴
 昨夜の空襲程驚いたる空襲は今迄にない。兵舎の五十米附近に落ちた。海中であつたので、大なる閃光と共に水柱も伴ひ、兵舎まで大雨に会つた如く、珊瑚礁の粉末と共に海水のお見舞を受けた。兵舎外に避けてゐたものでは、身体は泥だらけ、ぬれ鼠となつて来た。
お蔭で今日は美味い魚にありついた。赤鯛の刺身などは、内地では一寸食べる事は出来ない。時々この様なお見舞も悪くないぞ。
海岸に出て、雲間より淡き光と打寄せる波に投げてゐる月、島影…等を眺めてゐる内に、何等ともなく級友達と遊んだ。江島の事が思ひ出されて懐しい。高木君と仲良くなつたのも、あの晩よりであつた。思ひ出さば色々懐しい事がある。あの頃は、俺が一番懐(おも)ひに走り、あこがれに富んで、又青春に富んでゐた頃であつたなあ…。
 
二月二十一日 曇 予記〔索敵〕天候不良にて引返し
 月の孤島で毎日を送る我々、然しその名にふさはしき風光はあれども、毎夜ともなれば敵機の来襲ありて、風流なる事なぞ考へる暇なし。
 昨晩も盲爆を行つていつた。ジヤングルの只中に落下せり。辺りの潅木は皆無残にも打ち倒れてゐた。戦の常とは云ひ乍ら、面白からぬ事である。
人跡未踏のジヤングル中には、大とかげやサソリ等居るらしい。トカゲやサソリは時折、我々の兵舎の近くまで近寄つてくる。先日も、むかでにさゝれて左手を真赤に腫らしてゐた者もいる。「さそり」を見た時は驚いた。人命も奪はんとする「さそり」、全くグロなる形状をなしてゐる。又、南洋の動物は一般的にグロ、魚類までもさうである。真赤なのや真黒、或は色とり〲のや、形状のグロ全魚族館に欲しき様なのばかり。
 
二月二十二日 晴 予記〔移動〕
 毎日の上天気で海洋上の一孤島なるバラレ島も、日中は玉の汗を流す位の暑さである。夜は夜で寝に就くまでに二時間余りを要す。全く酷熱の地である。さらに夜には敵機の来襲ありて又眠りを破らる。全く面白からぬ土地であつた。
 本日はブカに移動にて全く安心し切つた様である。索敵線は又もや一番脅威なる所である。明日直ちに索敵である。燃料積みも整備が大部分受持つてくれて、八時頃より暇になつた。明日は四時起しであらう。ゆつくり休めるであらう。
今迄の空襲はなく、安心して休めるのである。然し明日の索敵が気にかゝる。大体八百浬近くまで進出するとは驚いた。本当に無鉄砲である。早くラホールに帰りたいと思ふ様になれば、もう終りである。御国の為に大いに頑張らん事のみを誓ふ。その心のもたまほしき事よ。
 
二月二十三日 曇 予記〔索敵〕不時着
 天候悪く、良好なる索敵は不能であつた。帰投時は殆ど曇乃至雨で帰投は困難であつた。基地上空附近は驟雨で、機位不明に陥る所であつた。それでも優秀なる操縦員と偵察員と優秀なる搭乗員とで、やうやく基地に帰り着いた。バラレ基地に不時着の様子である。
 空襲は今迄の様にはなく安眠出来、その上飛行士よりの酒で、大いに安心して寝につく。明日又索敵だと云ふ。そして明後日RRE基地に帰るらしい。それで今日迄の十日間の長い索敵は終つたらしい。
 無事に終了したものゝ如し、明日は如何であらう。先づ天候不良の様である。五回の索敵の中、第一回は敵発見、触接、攻撃隊は之を攻撃々滅、第一回の任務は全うした。この様で大分良好なる。
 
二月二十四日 晴 予記〔索敵〕母より受信
 バラレより索敵に出発す。天候は不良なれども飛行士持前の頑張りで、雲の中を突切つて飛んだ。
一、二、三、四番線は引返したるも、一番会敵の恐れある五番線は只飛んだ。無闇に!それでも積雲のみある所に出て割合良き飛行となりたるも、帰投針路が気に掛かる。反転が本当に長い様に感じた。それでも天候が余り悪化せずに基地に帰投する事が出来た。昨日の様な命拾ひはせずに済んだ。先づ安心と言ふ所だ。
明日はRRE帰還だ。清水湊の唄でも歌はう。清水湊の名物は、お茶の香に男だて……。
 RREに帰還すれば、又小林君が待つてゐるであらう。元気で居る様に祈る。植山兵長も宇田兵長も元気になつてゐられる様に祈る。
 
二月二十五日 晴  谷沢充より受信 母より小包
 久し振りにて級友より便りありたり。級の大部分、徴兵にとられてゐるらしい。皆元気で居るとの事、安心した。
戦地の忙しさにとらはれて、クラスメートにも便りする暇もなしと言訳がましき事を言つてゐるけれども、一杯かたむける暇はあつても便りする暇はない実情である。今日も充兄に便りせんとしてゐて、それも又一杯の方に気を、暇をとられて書く暇なき位である。戦地、慰安なき所、酒は最良の慰安物であり、又我等の好む所である。
母より小包ありて、久し振りにて勝栗等食べた。乾燥物とか云ふ。甘味もあるし、酒のさかなもある。今宵も亦飲めるぞ。大いに元気を出さん。母上より又も激励の手紙、女々しき行は絶対に禁物と、有難き事ぞよ。
 懐しき小林君は、ニユーギニアに移動してゐた。
 
二月二十六日 晴  弟より受信
 明日は再びバラレに進出するとの事で移動準備をなしてゐたが、突然作戦の変化に依り取止めとなつた。俺の機だけである。飛行士が基地に居らんと分隊の作業が順調に進捗しないとの事である。
 何のその、飛行士一人位とは云ふもやはり、重要配置にある士官、一人と雖も、現在の航空隊の現状では絶対的に必要なのであらう。
 お蔭にて、兵舎には俺のペアの数人と、病人、不時着機生存者等二十名位である。他の進出してゐる者を合はせても五十名である。戦地進出当時とは雲泥の差である。近く補充なり補充交替なり行はれなければ、これ以上の攻撃戦闘は出来ないであらう。自分は一兵になる迄戦ふ心があつても、現在の戦法では一人では戦はれない。
 
二月二十七日 晴  母に発信
 内地空輸の者とブカ進出のものと、その差は大である。久し振りの内地とて、皆喜こんで出発して行つた。
 人誰しも故郷は懐しい。まして戦闘酣(たけなは)にして、犠牲も少なからざる所に於ては。それで俺達も亦、内地の味を味はへる時があるであらう。先輩の柴田兵長が帰つたから、何かあるであらう。下宿にも宜敷と伝へて貰つたから…。
 又高田兵長の事が心配になつて来た。下宿の伯母さんも、もうあきらめてゐるであらう。今度帰ることがあれば、又あやまつて来よう。野口兵長にも依頼してゐたから大丈夫であらう。
今度帰つた柴田兵長は苦しんでゐるであらう。帰らざるよりは良いよ。まあ俺達にも次があるであらう。
 
二月二十八日 晴 予記〔試飛行 爆訓〕
 二月も今日で終らんとす。飛行士は本日爆訓をなさんとす。整列とか何とかで飛行士より叱られる。面白くもない。俺達にだつて、それ相当の申し分はある。然し軍隊にては言訳は何等効なし。それと共に又、言訳なるものは、上官に言ふ事を許されない事である。
 俺達は黙つて叱られた。然し、申し分あつての叱られるのは面白くないものである。二ヶ月間の苦労の総決算は本日で結ばれたのである。何とそれが叱られる事であつたりしては。
 今月も一月に劣らぬ功績を残して終つた。先づ満足である。来月よりも、再び今月迄に劣らぬ努力と勤勉をなさん。この二月中に俺の特練志望は決した。
 ◎二月の大なる戦果
サンタクルース島沖海戦の索敵・触接
    (注・後日の書込みの模様。三月十四日参照)
 
 
 【三月】
 
    要記
上旬
 一時ブカ進出
中旬
 十日間許(ばか)り攻撃待機若くは整備作業
下旬
 二十日―二十五日迄ブカ進出
 
三月一日 曇 予記〔試飛行〕文化映画あり
 三月、何と心よき月ではないか。故郷では永き雪の冬より解放されて、いよ〱活躍の次第に開始される時ではないか。花咲く三月とは云ふが、北陸の地では、未だ軒下に冬の面影を残し、只暖き太陽の日を浴びて縁側でお針を運ぶ、又戦地より息子の便りにたど〱しく眼を運ぶおばあさんの姿が見られる様な気がするのどけき三月哉。
 これとは反対に、今年の三月こそ米の反撃がいよ〱活発とならんとしてゐる時である。我等何ぞのどけき三月を味はつて居られようか。山野の闊歩も望ましいけれども、又敵が好餌となつて来る艦隊も更に欲する所である。来れ、よき好餌よ。
 
三月二日 晴 予記〔襲撃運動〕
 整備作業と思つてゐると大違ひであつた。青葉が入港すると云ふので、之に対して擬襲である。そして飛行中に長波の発射すると云ふ事を聞かずして出発したので、零式を検査する事を忘れてゐたので、降りて来たら通信長より叱られた。不本意であつた。
 今日の飛行は全く面白くなかつた。明日はブカ進出である。再び一番会敵の率多き五番線である。神経衰弱となる様な気がする。戦争とは云へ、神経衰弱となる事は面白くない。やはり生命をかけた攻撃が一番張合ひがある。雷撃等は、全く俺達搭乗員の花形である。
 近く又空輸があるらしい。然し俺は帰りたくは思はない。サブの坂本に帰らしてやらう。
 
三月三日 晴
 愈々再び前線に出て来た。気持も張り切つて来る。空襲は、と
聞くと、ないと云ふ。午前中に一度は必ず偵察に来るさうであるが、飛行機は全部掩体(えんたい)に入つてゐるし、椰子の葉陰に入れてあるし、入らぬ飛行機は葉を掩(おほ)ひてあるし、解らぬ様になつてゐるので、夜間攻撃は出来ないらしい。
 よい所である。水道もある。兵舎も悪くない。浴場もよく出来てゐる。これで索敵も緩和されてゐれば、全く我等の天国である。戦争である故、その様に行かぬは勿論である。
この様な楽な事を考へる様になつたのは堕落故であらうか、いや身心共疲れた故であらう。この様な激戦の地に、この様に永く居るのは我々のみ、然し張り切つてゐるのならば続けて居たいものだ。今度の様に一時待機して休養すると、怠惰の気持が起る。
 
三月四日 晴 予記〔索敵〕
 今迄の如く五番線である。出発に際して六号は、□温計不良にて引返す。次に二十八号に乗りたるも、溝の中に入つてしまつて出発不可能。次に五十八号にて出発せり。五十八号は、コントロールBOXが悪い事は以前の通りであつた。よつて四号の電信機は作動よろしからず。それでもどうにか通して来た。
受信の方は、身体の具合にて完全ならず。耳が遠いので、神経が昂ぶつてゐて思ふ様にならず。
 今日は久し振りにて酒なるものを召上る。お陰にて頭も変になつてゐるし、筆も思ふ様に動かず。何か小さい神経がなくて、太い、何でもよいと云ふ様な気のみする。酒の偉力は大したものである。
 
三月五日 晴
 日本晴れとは誰がつけたものか知らぬが、全くよく言つたものだ。全く日本精神そのものである。広大なる精神、何ものをも含有するその偉大さ。
 我今日亦酒をのみ、左の続きを書けず。文学的文章は書けない事となれり。酔ひたる時の気分又良からずや。如何なる人が発見せしや、この酒なるものを。悲しみを持つ人なるか、喜びを欲する人か。悲しみを持つ人が発見せりと云ふ事なれば、我亦之に賛成なり。悲しみのうさ晴らしに酒、意義あるものなり。悲しみを持つ人位、奥深き思想を持つ人はなかりき。
 又、我も亦悲しみを持つ人となりたりき。然し戦の激しさに、今はそれを忘れたり。
 
三月六日 晴 予記〔索敵〕兄、義姉より受信
 今日も亦酒を召上る。毎日の様に飲む酒、身体にさはりなきか。少量なれば百病の薬となるやも知れず。
 ガダル島、今日も遥かに見るガ島なるが、今日までは良くガ島陸上攻撃をなしたるものなるか。自分とても感心する位なりき。
    大和心人と見るやも己がまづ
      攻撃するかやガダル島
 とか。
全くあの時の事を考ふるに、軍人精神とかの権化であつた。今日ではやはり、俺も一人の人間であつた。常に張切つてゐる事は出来なかつた。張つたつるはいつかゆるむ時が来る。かの様に第一線一年にもなり、戦友のあまた死する時にありては然り。再度立つまでには、かなりの月日を要す。
 
三月七日 晴 予記〔索敵〕
 敵を見る事の少なき二番線である。皆気合ぬけのした様な顔ではある。俺にもその様な感は自ら感じられた。油断大敵。
 今日も酒を飲む。お陰にて本日の日記は明日にと思つてゐたが、それが又飲んで、現在にまで延びた。今手に取つてゐる日は九日だ。
 早朝索敵途上にて、機上での筆を走らす。何と心持よきか。然し発動機の震動にて良く書けず。兄貴に似た変なる字が連つてゐる。これでも読める筈だ。
 酒飲の後、夜設当番だ。ねむい。何となく気進まぬが、然し強ひて出た。夜風、酔ひたるものに冷たき風、何と心持良き事か。涼しく頬をなでる。爽やかなる気持となりぬ。
 
三月八日 晴 予記〔待機〕
 今日は久し振りにて休憩だ。然し、我が機は優秀なる機が故に、必ず触接待機を命ぜらる。今日も早朝より指揮所に寄せかけて、命出ずやと待ちたるも、一向に敵発見の電は来らず。本当の待機のみにて終れり。
 午後は入浴、毎日の野戦風呂なるも、その心持の良き事、身体が丁度満たされる位のドラム缶である。暑い飛行場より、汗と泥に汚れた身体を清める。心までも流されて清められる様な気持ではある。何と良き生活かな、衣食住は満てり。
 今日も亦飲酒、熟睡を欲する我、少量なりとも酒分を含めば、昼間の神経質なのは何処へやら、安心して熟睡出来る。有難き安眠剤なるぞ。
 
三月九日 晴 予記〔休業〕宗政、河西より受信
 ブカ進出より帰りて、皆とても安心した様子である。やはり第一線ともなると本当に気が張つてゐるし、それに毎日の様に索敵はあるし、とてもゆとりのある生活が出来なかつたが、今日は帰つたのでその気持たるや、RREより内地かテニアン位に帰つたやうな気持である。全く安心しきつた気持である。然しこれからはこの様な気持ではよくない。ガ島攻撃が待つてゐる。
 今日は又遅くなるまで飲酒である。その後整列、海軍の例である。俺達は関係なかりしも、その後十五志以下を整列して、一寸ばかりお説法をした。初めての説法である故か、皆に自分の意図が通つてゐなかつたであらう。毎日の様に行はれてゐる内地に比べると少いけれども、戦地ではあまり気分のよきものではない。
 
三月十日 晴 予記〔整備作業〕
 珍しく慰問袋が配布された。皆大喜びである。戦地に居る事半年以上、それで今度で一個半である。戦地に初めての俺ではあるが、前の戦地ではもつとあつたさうである。
 裏街通たるソロモン方面では戦は激しく、慰安設備はなく、それに慰問は少なく、勤務は長いときてゐる。全く面白くない所である。それに反して表戦線の方面は良き様子である。今度は表戦線に廻る事であらう。
 昨日は下宿と宗政より木更津名物が届けられた。全く想ひも寄らぬ事であつたので美味しかつた。戦友と共に分け合つて、毎食を美味しく過した。速くお礼を書かん。
 
三月十一日 晴 予記〔休業 整備作業〕
 ブカより帰還してよりは全く余裕ある日常である。慰問袋は配給されるし、我等の生活も戦地とは思はれない。慰問袋には内地の味はひを充分に味はひたり。横浜の人よりの慰問袋である。戦地に来て初めての慰問袋、全く喜び様は天をも突く有様である。風船で子供時代を思ひ起し、羽子板で内地の正月をしのびて、午后中は皆慰問袋の事で一杯であつた。
 内地の物資不足の折、銃後の人々の御慰問品には頭の下る思ひがする。己の不自由を耐へ、然して我等にお送り下されるお気持、本当に有難い。早速返事、とは思ひ乍(なが)ら、今日は書き始める事なくして終れり。
 本夕も麦酒の配給、それに二箱ばかりの手元品ありて、心行く迄噄す。全く酒好きな男となれり。
 
三月十二日 晴 予記〔休養〕
 七時よりチブス予注射行はる。胸部注射であつたので、二〇時の今でも左腕が自由に動かぬ。予科練当時より度々の注射ではあるけれども、注射程好かぬものはない。血沈位ならば何とも思はぬが、予防注射のみは面白くない。明日は夜間攻撃でもあると全く困るぞ。早朝起き出て爆弾搭載、午后直ちに発進、機上で眠くて仕様があるまい。大分眠らぬ様に訓練したけれども、克服は未だ出来ない。
 木更津当時は全くよかつた。今は全然面白くない。一寸早く海軍に入つた者よりは変な事を聞くし、近頃はどうも覇気なるものは無くなつた様な気持ちである。
 今日も本当は飲みたい気持であるが、昨日の今日故、止めて置かん。身体にもさはりある。速く寝に就き、明日の戦闘に備へん。
 
三月十三日 晴 予記〔整備作業〕
 午前中にラエ空輸ありたるも、我が機は飛行する事はなく、整備作業となりたり。午后本分隊よりブカ進出あるも、又も我が機は飛ぶ事なくして終れり。
 全く近頃は飛行する事なし。明日も亦分隊編成ある為、飛行なし。飛行時間は全く少しなり。内地帰還のうはさ益々高し。本当は未だ遠い事であらう。分隊編成等ある所を見ると、充分に余裕ある航空隊となるであらう。
 然し搭乗員は総て疲れてゐて、戦意なき者少なくなし。やはり航空機搭乗員の戦地勤務日数は半年位であらう。ましてこの地の様なる激戦地に於てをや。テニアンに進出して訓練のうはさも高し。愈々勤務のあと永きを物語つてゐる。然し我はやらん。
 
三月十四日 晴 予記〔分隊編成〕
 七〇五空新分隊編成を行はれたり。今迄とは面目を新にしたり。七〇一空よりも転勤して来る者も多く、四箇分隊を優に編成する事を得。今日より更に拍車を掛けて、索敵に攻撃に邁進する事であらう。
 俺も亦、今日迄何回かの母上様の御教訓通り、勇ましく女々しき事なく戦はん。第六分隊は明後日テニアンに進出して訓練するらしい。我等亦続いて進出する事であらう。
 今日迄に大なる間違ひをしてゐた。俺達の発見したのはサンタクルーズ島沖海戦であつたと。
 
三月十五日 晴 予記〔整備 映画〕
 新しき出発、本航空隊も新しき出発をしたのだ。我も亦、今宵の心境、何と潤ひにみちて和やかであらうか。常に今の心でゐたい。この心境あつてこそ御国の為に、神国の御為に身命を捧げる事が心より嬉しく感じられるであらう。
近く攻撃あるらしい。毎日〱が己の生活の終かと思つては居るものゝ、やはり今宵の如き清き心境には美しき愛国の精神が宿つてゐる。
 内地の便があるらしい。手紙を書きたくも言伝てする人が居らぬ。あきらめよう。河西のお母さんも宗政の奥さんにも申訳ないが、この次としよう。
 
三月十六日 晴 予記〔攻撃準備〕母より幸便 弟陸幼突破
 午前は特殊爆弾の講義の予定なりたるも、教官が来るのが遅く取止めとなりたり。然して明日の攻撃準備となりたり。ブナの艦船攻撃らしいが、又もや犠牲も出る事であらう。然しブナならば犠牲も出ずに済むやも知れず。
 近頃我々の戦意は著に減退したといつてもよからう。ガ島攻撃の折は皆張切つて死等を考へる暇もなかつた。然し今迄の犠牲、それから永い戦地勤務等で、皆の見識は少しづつ変化しつゝあるのであらう。
 明日の爆撃は如何であらう。又何か獲物があるであらう。近頃獲物少なき故、大なる獲物があれば又一時士気旺盛となる事もあらう。士気の旺盛なる軍隊程働き甲斐のある所はなし。麦酒を召上る。
 
三月十七日 スコールアリ 予記〔慰問袋の主へ発信〕
 久し振りの攻撃とて、皆張切つた中にも慎重にして準備したり。然し天候不良故取止めとなりたり。全く残念至極なり。然し、明日再び攻撃あると云ふので気を休めたり。ブナ艦船攻撃たり。これで今度と合せて、今年中にて四回の攻撃なり。昨年と比して全く少なし。然し□□島沖海戦にて、そのうめ合せはつくであらう。索敵へは相当出てゐるし、まあ俺達は上旨を奉じて働くのみ故、いくらあせつても侭にならぬ。
 弟よ、よくぞ成したり、陸幼突破。いよ〱頑張るぞ。俺のあとを受け継ぐ者あり。今日も麦酒を召上る。
 
三月十八日 雨 攻撃取止
 又もや攻撃取止めとなりたり。午前は爆弾運搬作業にて終りたり。
 午后特殊爆弾構造並びに取扱ひ注意。日本にも外国以上の特殊爆弾は充分前より製作されてゐたが、今日は又驚くべき有効なる爆弾が明らかにされた。講師は未だ若い少尉であつた故か、五分隊長の毒舌と云ふより、全然常識を外れた質問にとても気を悪くしてゐた。聞いてゐる自分達すら笑ひたくなる様な質問や、はら〱する様な質問振りであつた。それで講師も、常識で判断して下さいとまで云つたが、その皮肉も解らず未だ質問である。○○だなあ。
 
三月十九日 晴後曇 予記〔ブナ方面艦船爆撃〕
 じれつたき攻撃も本日になつて行はれたり。天候不良の為、進撃進路途上は非常に悪条件の飛行でありたるも、良く機位を失する事なく目的地に突入したり。されど雲の為、最良目標爆撃する事能はず、他の目標を爆撃せり。修正少なく爆弾命中せず、惜しい所に弾着せり。至近弾三―六発、被害はあるであらう。
 司令も今度は○島強襲の如き作戦は行はず、今日の如き奇襲作戦を行ふとの事である。味方の損害少なくして敵の損害を多くせんとの作戦なり。今迄は余りに消耗が激しかつた。今後は、敵の被害は今迄通り多くして味方の損傷を少なくせんとの事なり。良好なり。
 
三月二十日 晴 予記〔ブカ進出〕
 再三のブカ進出である。主なる任務は索敵である。勿論敵発見が目的なるも、敵も好餌となるには忍びないと見えて、仲々に出動して来ない。
 今日は酒宴である。ビールの配給と清酒二升とブダウ酒とで、大なる宴を開きぬ。酒も亦大なる慰安物である。
 明日の索敵が気に掛かるが、飛行士が搭乗しない予定である故、安心である。先任下士官もやさしい人であるし、本当によい。但し、士のみはにがてゞある。
何も得る事なくして、近頃相当なる日数を過しぬ。勿論自分の意志ではない。自然がさうさせたのである。何等悔ゆる所なし。
 
三月二十一日 晴後雨 予記〔索敵〕
 断雲海上を美しく覆つてゐる上を、心持よき索敵を実施する。全く良きであつた。然し帰投に際して積乱雲が発達し出して雨を併ひ、ボーゲンビル上空に来たら雨中であつた。
 兵舎に帰りたれば、如何なる訳か、急激に疲れが出て来て、立つのも何か心苦しい。直ちに寝所につきて休養す。頭は痛む。全く生きた心持更になく、それでもどうにかよくなりさうな気がする。日記も明日になつて書かんと、二十一日の今日筆を把つてゐる有様である。それでもどうにか休まずに済むらしい。
 
三月二十二日 曇時々雨 予記〔整備作業〕
 思想もなし、意志もなく、望みもなく、何の頼るべきもない現在の俺。毎日の日誌の一頁をうめるにも、意味もなき文字を只並べてゐるのみだ。
 生命は捧げてゐるが、精神までも失はうとは思はなかつた。戦地とはかくなるものか。単純な精神とは又異なる。只何もかも総てを放棄した頭脳である。精神である。本当に凡人といふ様、馬鹿みたいな人間になつてしまつた。字も下手になつてしまつた。
 戦地に来て一年弱、全くなにもかも失つてしまつた。内地に帰れば又なにか得る所あらん。精神的に優秀なる人間こそ立派な人間と云へる。それに身体あつてこそだ。
 
三月二十三日 晴 予記〔索敵(機長)〕
 全コース快晴に近き天候にて本当に快適なる飛行であつた。皆気分良く飛行せり。
 飛行機に乗り始めて、初めて機長なる位置に立てり。いざ一機の機長となつて見ると、全く不可解なる仕事である。任務の完全遂行となつて来ると如何にしたらよいのか解らぬ。今日迄同乗して来た時見習つた様な報告其他をなしたるも、慣れざるものとて充分なる報告さへ出来ず、今後は今少し機長の任務に注意力を注いでゐなければならぬ。特練を志望せざれば、近く機長配置になる事だらう故に。
 
三月二十四日 晴 予記〔休業〕
 疲れで身体を休ませろと思へばこそ二日に一回の索敵なるに、機体整備もさること乍(なが)ら、休養こそ最も明日の戦闘に備へる要素第一に数へられるものであらう。疲れたる身体精神で搭乗し索敵に出たるとも、何をか出来るや、居眠りのみ。
休養の一日は、概ね午前中に精神の涵養に、午后は身体の休養に費やせり。身体を少々悪くしてより、未だ良好ならず。それでもやはり搭乗せねばならず、軍医が居らず、全く苦しい所である。然し診察を受ける事の嫌ひな俺は全く困りもの。
 
三月二十五日 晴 予記〔索敵(機長)〕高木、兄より受信
 再三の索敵で全く疲れてしまつた。本当によく動く飛行機である。有難くなる位である。
七百浬も進出してゐて、途中でボスと止まられた時には、本当これこそ目もあてられんと言ふ言が当つてゐる。それでも今迄二ヶ年位搭乗員になつてから、エンヂンが航行中に止つた話は一寸聞いた事がない。誰が製作したエンヂンか知ら、全く一部のすきも許さず、一本のピンもゆるがせに出来ない、微細なエンヂンで全く有難い事である。
油にまみれた若きエンヂニアの姿こそ、我々より見れば神に近き存在である。彼等あつてこそ、初めて我が航空部隊の活躍があるのである。
 
三月二十六日 晴 予記〔攻撃待機 午后休業〕
   高木、河西、宗政、弟より受信
 休業の予定でありたるも、敵機動部隊出動との情報入りたる為、攻撃待機となりたり。仲々に敵も我等の好餌となるにはしのびないらしい。やがて攻撃待機取止め、午后休業外出許可されたるも、常の如く外出はしない。皆元気にて外出してゐた。午后も兵舎にて休業。
 午前は検便あり。腹を悪くしてゐるので、明日は又呼出が来るのではなからうか。二、三日我慢してゐるのが何にもならなくなるのではないか。然し診察を受けるのも本当かも知れず、明日病室より来らずして、又自分でも悪い時は、明後日受診する事にしよう。
 実習部隊に出てより、初めて身体を悪くした。身体の悪い程損な事はない。
 
三月二十七日 晴  夜間攻撃取止メ 映画
 分隊会の予定なりしも、夜間攻撃の予定にて取止めとなる。病気中の俺にとりては最も好つ合ではるが、相済まぬ事と云ふ気もある。然し明日はあるであらう。明日受診しようと思つてゐたが、一応止める事にした。どうも良くなりつゝある様な気もする。早く良くなつて、皆と共に元気で働きたい。
 映画あり。清水次郎長の生立ちと独逸世界大戦の戦局とその戦利を得しまでの忍耐と攻撃精神の旺盛なる事を表したる、一種の宣伝映画の趣ある映画であつた。然し現在の我々にとつて考へさせられる所もあつた。
 
三月二十八日 晴  夜間攻撃引返シ
 ガ島夜間攻撃ある為、午前の訓練は取止めとなりたり。然るに夜間攻撃に出発したるや、ブカ島天候不良の為、地上指揮官より引返せの電あり。直ちに飛行場に向つて返りたり。
 天候不良ならざれば、昨日の五分隊の如く、火炎を生起せしめ大戦果を挙げんものと頑張つてゐたが、だめであつた。本当に不遇は仕方ないものである。
 今日は酒分を少し□まんと士の所まで行つたが、士は仲々に公室より出て来なくて、酒は到頭手に入らず。酒にありつけなくて床に入れり。仲々に心をしくて寝につけず。然れども又遊びをして三時頃まで過せり。
 
三月二十九日 晴 予記〔訓練飛行 分隊会〕
 新任分隊長着任してより毎日の如く訓練飛行が行はれる。全く訓練員と同様なる作業である。
 中攻隊に来てより一ヶ年もたつ者をつかまへて、昨今の出掛けの分隊士や分隊長が一々文句を言ひ出す。戦地勤務五年、六年と言ふ古強者が不平を言つてゐるのを耳にするのも無理なき事と思ふ。我々でも余り面白く思つてゐないのは、昨今の戦争の経験のなき者に何が解るのか、机上の戦術が何か、多年の激戦の経験が一番大切なものである。分隊会にてその点等を相当に語つた。
 
三月三十日 曇雨 予記〔F区哨戒・整備〕
 写真偵察の予定であつたが、F区哨戒と同方面であつたので、F区哨戒を併務した。
あの小島に不時着場を作るらしい。又敵国が前進基地を作る疑念があるらしい。早速偵察するも、何等それらしい形跡もなく、それかと云つて不時着場となる草原もなし。全く椰子を切り取らば良きとなる所あるも、今の侭では使用出来る所はなし。
昨日の分隊親睦会にて分隊長を攻撃したるもその効果余りなし。
離陸速力の六五節(ノツト)とは、一寸恐ろしい事である。七〇節(ノツト)でも恐怖心が併ふのに。それ故新搭乗員は恐ろしい。
 
三月三十一日
 三月も終れり。弟も愈々明日より陸幼に入学するのであらう。我も亦喜ばしき限りである。弟よ、懸命に自分の道を進めよ。必ずや幸福が待つてゐるであらう。母もさぞ喜こんでゐるであらう。母の二十年の重荷も、今日初めて降りた様なものである。
 母よ、本当に我等兄弟四人は心より感謝してゐます。今日迄の大なる御恩は本当に忘れられません。全く他には見られなき母の愛ではあつた。母よ永しへに健在たれ。
 
 
 【四月】
 
四月一日 予記〔訓練〕
 四月は始まれり。教育年度は始まつた。例年なれば弟に進級祝も出す所なれど、我今戦地にあり、併せて弟は陸幼に入学の筈である。今度内地に帰らば、一度面会に行つてやらざればなるまい。
 軍隊の生活の本旨と内容を話して、有意義なる陸幼生活、延(ひ)いては陸士生活をなして、立派なる軍人とならむ様、共に励まねばならない。弟よ、立派に陸幼の第二次試験を突破して、見事入学せん事を祈る。俺も遠く戦地より、共に軍籍にて国家の御為に働かん事を誓ふ。
 
四月二日
 昨日は教育年度のボーナスを受取る。二十割である。五十四円也だ。これで内地に帰つても喜ばすだけの用意は出来た。
 然し一方、攻撃開始の時は近づいてゐる。今度の攻撃では生きて帰る様な気がしない。どうもガ島攻撃となると、二小隊長機は余り生命の確実性はない。今迄の経験よりして、二中隊の二小隊は余りよくない。然し今迄の奮闘の賜として、案外生きて帰れるやも知れず。
 総て運命にまかせて働け。然して人力の最大を尽して戦はん。されば何かあるであらう。
 
四月三日 晴 予記〔訓練〕
 今日も亦訓練である。今日の様な訓練、身体はとても疲れてゐる。テニアン時代の訓練の時は余り疲れなかつたが、不思議である。
 戦争の為か身心共疲れてゐるらしい。少しの休養期間あれば、再び元気にて戦争に頑張る事が出来るのであるが。全く休養は、戦争の最大必要条件であると思ふ。
 珍しくも今、母艦の搭乗員中に、宇佐にての井上教員に会つた。彼は今では髯をはやし、とても元気らしい。南太平洋海戦にも参加してゐるらしい。宇佐当時より無沙汰ばかりしてゐて申訳なし。
 
四月四日 予記〔整備〕
 RREニテ佐藤、宮脇、太田川、四元と会ふ
 艦隊に搭乗してゐる佐藤雅尚と宮脇、四元、太田川の四名が本基地に来た。全くお互に生き延びたものだ。先づ最初の挨拶は、おゝ生きて居てゐたのか、だ。変つたものではある。
 夕食、彼等と共に語らんと彼等の兵舎に行く。先づ食へ、飲めだ。艦隊の兄さんのビールを御馳走になつて帰つた。
彼等は身体を考へてか、大酒はのまん様だ。それに反して、中攻隊の我々は大酒飲み許(ばか)りである。昨日も永清教員と井上教員の所で再び飲んだ。井上教員には、宇佐で御馳走になつてその侭になつてゐる。相済まん事だ。
 
四月五日
 愈々攻撃開始は近くなつて来たらしい。飛行機も先づ完備した。
 ANが新機であり乍(なが)ら不良である。昨日迄相当に苦労して一二号を整備したのだが、それを一小隊三番機にとられて新機を貰つたがよいが、悪い飛行機で困る。又サブを通信科と往復させなければならぬ。千葉も可哀さうであるが、まあ仕方ない。
 午后は飛行機整備で一杯である。機内も相当に汚れてゐるので、座板を外して、清水で流して清め、明日より攻撃あつても差支へなき様にして来た。これで安心である。
 
四月六日 晴後雨 予記〔整備〕ブイン行 バラレ戦闘機誘導引返
 どう天気が変つたか、作戦が開始されるとなると天候が崩れかけて来た。空のはてには積乱雲が発達してゐる。戦闘機隊も進出不可能であるらしく、作戦開始が一日遅れた。
今度の作戦をい号作戦と云ふ。相当の大部隊が移動する作戦である。敵輸送船団を撃滅が主目的であるらしい。
一日には敵戦闘機と零式戦闘機との交戦で、敵戦闘機四十七機を撃墜、味方の未帰還機九機。技倆と度胸の差である。航空機は、敵は我に勝る位の戦闘機を持つてゐる筈である。燦たる哉、航空部隊
 
四月七日 晴 予記〔整備〕
 愈々八日は本日とはなれり。艦爆隊は、今日艦船攻撃を実施する筈である。如何なる成果を納めるやら。
 明日は我々中攻隊の攻撃である。敵さん、出動して来るかね。我等の好餌となりたるか。何と多く犠牲を出してゐる事であらう。彼等未だ目覚める事なく、此方に積極的に出て来る。彼等にも攻撃精神□なる□があるのか、ヤンキ―のスポーツマンシツプ、これを我等の伝統的武士道に挑戦せんとして来る。スポーツと戦争と一緒にしてたまるか。見ろ、やがてガ島なんか直ちに取つて見せるから。今に見ろ、やるぞ。
 
四月八日 晴 攻撃引返
 艦隊の兄さん達の攻撃成果は未だ不明である。相当に成果はあつたらしいが、どうなつてゐるであらう。佐藤や宮脇や四元は心配である。同期生の事が心配である。
我々がガ島に攻撃にいつた時は、本当に敵の反攻も猛烈であつたので、彼らの事が一層気に掛る訳である。幸にして敵艦船攻撃である。その輸送船である故、案外に戦果は多く犠牲は少□済むやも知れず。早く成果がはいらないかなあ。
 今日の攻撃は天候不良の為引返しである。残念至極である。
 
四月九日 晴  基地スコールアリ 慰問演芸ラエ行
 演芸ありたるもラエ行ありたる為、途中にて帰りたり。当基地より更に第一線たる○○基地。
 此の日は酒なるものを召上つてゐた故か、とんでもなき間違ひをしてしまつた。念頭遠去らんとしてゐたあの小林君も、二月十日には居たなあ(二月十三日の間違ひ)。今ではラエに□□ゐる事であらう。元気でやつてゐてくれるであらうな。
 明日はモレスビー攻撃である。二中隊二小隊一番機である。今迄の経験として余り香しき配置ではない。奇襲的に攻撃を決行するらしい故、先づ安全であらう。死すとも悔はなしと。然し一抹の名残りあり。ガ島に生きたのも水泡だとの。今少し生きて御奉公したい。
 
四月十日  攻撃延期
 天候余り香しくなく、攻撃延期となりぬ。明日こそはラビを微ぢんにしてくれん。やる時ぞ来る。
 敵の春期攻勢何者ぞ。我等には伝統的精神と更に優秀なる航空部隊とを有す。
 敵よ、反撃せよ。之を我等は完全に撃滅して呉れるぞ。最後の一兵迄も、一塊の肉片となるまでヤンキ―を撃滅するぞ。
 我等には尊き精神がある。彼等のスポーツマンシツプ、何だ。
 
四月十一日 予記〔整備〕
 明日愈々攻撃開始である。腕はなり、胸は昇る。血は躍る。我等、日本の航空兵なるぞ。
 明日は、さぞ激烈なる戦闘があるであらう。我死すとも悔なし。今日迄戦へたのだ。
 然し、大東亜戦争の最後迄頑張りたい。これは出来ぬ願ひやも知れず。然し出来る丈頑張るぞ。
 明日は常よりは早いであらう。今日は安らかなる眠りに就くとしよう。
 
四月十二日 予記〔ポートモレスビー攻撃〕
 大編隊堂々として敵地上空を圧す。敵もさる者、戦闘機の反撃猛烈を極む。約四十機許(ばか)りなり。
 その中、我が大隊に反撃するもの十数機、然し我が優秀なる戦闘機の攻撃により、我が大隊には不時着機二機のみ。全員無事にて更に来るべき攻撃に備へる事が出来た。
 戦果大。戦闘機隊の戦闘機撃墜二十数機、攻撃隊の撃墜数機、それに輸送船一隻沈没、飛行場猛火。
 今日はとても愉快なりき。生還祝の酒宴を開催す。久し振りにて酒を味はへり。又よからずや。
 
四月十三日 予記〔整備〕
 午前整備、機体手入。明日の攻撃準備終りて排球試合、二小隊優勝、断然我が小隊の優勝と決せり。愉快なる哉。
 明日はラビ攻撃、昨日のモレスビー攻についで行はれる攻撃だ。敵の反撃もあらん。然し恐るゝに足らず。再び大作戦の成果を弥が上にも挙げて、本作戦を終らん。
 XY両作戦共に大体成功なり。X作戦は、惜しくも我等中攻隊の参加、天候不良の為あたはず、残念なり。その申訳にも、明日再び大戦果を挙げん。
 
四月十四日 (戦友の筆になる)
 本日十一時、最愛の友哲也兄は、ニユーギニア東部にて自爆せり。最初から共に助け合ひし友に先立たれて、孤独になつた様な気持です。
              五十嵐 恒
 
 横沢君は此の中で常に、母よ永く生きて呉れ、と書いて自らを慰めて居り、百歳まで生きて呉れ、其のうちに僕は皈つて来ると。そして、そして最愛の弟さんの幼校合格をよろこんで居られる。涙なしでは読めない。



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