小森一之 命

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昭和二十年七月二十八日
沖縄南東海域にて特攻戦死
海軍甲種飛行予科練習生第十三期生
東砺波郡福野町出身 十九歳

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【色紙】
必殺之大死
     為谷道少尉  小森一之
 
【短冊】
海原に神つ潮をわきおこし
巻きて沈めん醜の醜船(しこふね)
       多聞隊 小森一之
 
 
 【谷道少尉宛封書】
 谷道少尉、別レニ当ツテ種々メイワクヲ掛ケテ申シワケアリマセンデシタ。
 本日私ガ基地隊ヘ帰ラナイ気持ハ良ク分ツテ下サルト思ヒマス。
 自分ノ気持ハ今何モナク、澄ミ切ツテヰマス。越中男子ノ名ニカケテモ又日本ノ為ニモ頑張リマスカラ。
 今日ト同ジ気持デ接敵マデ毎日船中生活ヲ過シマス。同期ノ方ニヨロシク。一日モ早ク訓練サレン事ヲ祈リマス。
 九期久保少尉ニヨロシク伝言下サイ。
又、十一期ノ松本少尉ニモ今日迄ノ親切ヲ謝シテオイテ下サイ。
モウ何モ申シ上ゲル事ハアリマセン。
兄ノ健康ト御成功ヲ蔭乍ラ祈リマス。オ願ヒ物事ハドウゾヨロシク。
又、宮下中尉ニモ岡野ニモ、ソノ点伝ヘテオイテ下サイ。
 船ノ便ヲタノンデ一筆オ別レトオ願ヒ申シ上ゲ、兄ノ健康ト多幸ヲ祈リマス。
 谷道少尉殿
           多聞隊
            小森一之
     イツイツマデモ
 父ニモヨロシク一筆伝ヘオキ下サイマセ。
 アヘテ遺書ハカキマセンデシタ故。
 
 
 【谷道少尉宛封書】
 出撃の時、私の事について種々御厄介をかけて誠に失礼致しました。
 どうにでも出来る様に何分よろしく取はからひ下さい。恩賜の短剣と軍刀だけは、どうしても家の父の手にとゞけたいと思ひます。
 煙草は谷道少尉、お持ちになつて下さい。
 短剣は一分隊の四班の部屋にあるかも知れません。或は松本少尉が持つてゐられるかも知れませんが、多分は松本少尉か一分隊四班の室のものが持つてゐるはずです。若し知れねば、志賀か橋爪に聞いて見て、どうか善しよお願致します。
  厚顔乍ら右お願ひまで。
 どうぞよろしく。
 谷道少尉殿
         小森一之拝
 
 
遺品
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恩賜の短刀と菊水の旗
 
 
 
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軍刀と制服等
 
 
 【谷道少尉宛封書】
谷道少尉始め十期見習士官講習員の方々は、其の后も日夜奮闘勤勉してゐられます事と拝します。  私も五十八潜にて出て以来至極元気、精神は澄んで一点の曇なく、只一路見敵必滅の意気にのみ燃えてゐます。何思ひ残す所も更になし、潜水艦乗員の人ともなれて、只一日も早く会敵せん事を念じてゐます。
訓練の時とは異なり、失敗したら后がないと考へると、心は張切り緊張に緊張を加へてゐます。北緯十度内外の太平洋は平穏に、時折のうねりの外、極めて静かで波一つないと言ふ感じです。海の面は真のコバルト色と言ひませうか、近海の色とは問題になりません。紫色の面を、只艦の航跡が遠くなびいてゐます。艦首艦尾に立つ白波が面の紫に映えて大変きれいに見えます。そしてそれが入日の紅朱に輝く時こそ絵の様に見え、これが今決戦の最中だらうかと心を疑はせます。昼は概ね潜航、夜は日出日没三十分前迄水上航走ときまつてゐますが、哨戒機のないときは、白昼も堂々?と航走してゐます。已(すで)に回天戦・魚雷戦用意の令も発せられ、大いに張切つてゐます。今は月齢が良いので、夜間八時前后に約三十分間夜間観測訓練も続けられ、〝何時会敵するも〟の自信を高めてゐます。そして時たまの急速潜行に胸をとゞろかせてゐます。
 月光に映えて夜露にぬれ、艦橋に不眠で立つ哨戒員の姿を特眼鏡にて見るときは、非常に神々しく、何か霊験に打たれる様な感じがします。
 輝く太陽の下、海温は三十二度を突破せんとしてゐます。
 艦内は大変むし熱い感じで、防暑服も上衣なしで汗をかいてゐます。
      では失礼します。
乱筆と無礼をお許し下さい。
思ひ出のまゝに取急ぎ
  谷道少尉    
         小森一之拝
 十一期の松本少尉にも久保少尉にもよろしく伝言下さい。
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注・この特攻兵器は「天運を回らし、頽勢を挽回せん」との祈りのもと、黒木博司大尉と仁科關夫中尉との熱誠に依つて成つたが、黒木大尉はその訓練中殉職、仁科中尉は回天の初陣、ウルシー泊地攻撃に際して自ら回天に搭乗、戦死。各種特攻兵器、戦法考案者の中で、自らその兵器を以て突入、戦死したのは仁科中尉のみである。
 「回天」は当初は丸六金物(まるろくかなもの)と称し、後に「回天」と命名した。又、目的秘匿の為「甲標的」とも呼ばれた特殊な潜航艇である。回天一型は九三式酸素魚雷を改造、前半部を搭乗員(一名)と炸薬(一、五五〇瓩)の為一廻り太くした。全長十四・五米、直径一米。潜水艦にて目標近く迄輸送して発進、後は自力にて目標に突入した。小森一之命は回天搭乗員の戦死者中、唯一の富山県出身者である。



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