耕作精一 命

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昭和二十年四月十六日
沖縄方面にて特攻戦死
海軍乙種飛行予科練習生第十八期生
立山町半屋出身 十九歳

 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 【耕作安三郎様宛葉書】17.4.30(消印)
 拝啓
 先日は遠路有難う存じました。無事帰りの事と思ます。自分も夢を見て、上野に七時着す。自分は今、上野公園西郷銅像の上にある椅子に腰を下して筆を握つた。初めて見た大東京ずつ(ママ)によろしい。今日、今より舟木君と二人で土浦に出発す。又次に、皆様御体を大切に祈る。初めて故郷を出た自分は、実に懐しくしく泣きさうだ。
                          をはり
 
 
 【耕作安三郎様宛葉書】 17. □.22 (発信地・茨城県・土浦海軍航空隊)
 拝復御手紙□に小包も受取りました。其の後も皆様には御変りなく御働の事、誠に結構です。私も旺盛に軍学に励んで居ます。就而は、先が自分の万年筆に合はないから一本送り下さる様御願します。又朽木君に動員がきたのを、くはしく通達して下さる様頼みます。
多忙中皆様には御体を大切に。
                           敬具
 
 
【耕作安三郎様宛葉書】□.5. □□ (発信地・同前)
 拝啓、新緑の候と相なり、其の後皆様には御変りなく職務に精出の事と思起します。私も旺盛にして軍務に勉んで居ますから、御安心下さい。今日は行軍があり、蛙の声を耳にして故郷の事を思ひながらペンを把る。就而は、家の便りに、小川君の現所が第一線と聴いた時、淋しい気がした。而し大君に捧げた体だ、全力を尽して本分を果せる頭・体を作る為に一歩一歩進んで居ますから、皆様も体を大切に増産に進まれむ事を祈ります。
                           敬具
 
 
【耕作安三郎様宛葉書】 □.8.14(発信地・同前)
 拝啓、休暇帰省中は、一方ならぬ御世話に相成り有難く御礼申上げます。汽車中は思つた程にも込み合はず、途中何事もなく到着、定刻までに帰隊致しましたから御安心下さい。お蔭で休暇前、一層元気で頑張つて居ます。又十二日、印判を受取りました。先づは無事帰隊の御知らせ旁々御礼まで。
                            草々
 
 
【耕作安三郎様宛葉書】(発信地・同前)
 拝啓、其の後皆様には御変り有りませんか、御伺ひ申上げます。私の事は御蔭様にて至極張切つて軍学に励んでゐます故、他事乍ら御安心下さい。厳寒の折柄、呉れぐれも御体を大切に。
敬具
 
 
 【耕作安三郎様宛葉書】(発信地・福島県・第二郡山海軍航空隊)
 拝啓先日は御多忙の所、実に有難う御座いました。其の后永らく御無沙汰致しましたが、皆様には御変り御座いませんか、御伺ひ申上ます。私の事は、至極元気で張切つて軍務に精励致しゐます故、他事乍ら御安心下さい。段々と暖かくなり、野良仕事に御多忙の御事と存じますが、父母には無理をする事なく、呉れ呉れも御体御大切に御働下さい。
又表記の航空隊で勤務致します故、右通知迄。
敬具
 
 
 【耕作安三郎様宛封書】19.9.6  (発信地・同前)
 拝啓長らく御無音に打過ぎ誠に申訳もありません。其の后も皆元気で、日日の作業に御励みの事と存じます。私も相変ず益々頑健、毎日の猛訓練に励んでゐる、御安心下さい。
 月日の過ぎるのは早いもの、入隊早くも六ヶ月、中錬教程・実務教程ももはや終らんとし、愈々決戦部隊だ。㊙なれど、富山県出身盤若二ヒ曹も我々より一足先決戦場に入つた。俺も卒業が決まり、二十八日に決定した。愈々日は来た時は来た。
 大□張□□所で、此の前の二十七日家より□小包□受取つた。家よりの最后の食物と思へば、一層□□□□□□淋しく感じたよ。せめて□う一度卒業迄にと思つたよ。而し面会は絶対禁止、今搭乗員は手紙は止められ出外も止められ、何時も第一搭乗配置で、日曜も午后八時より一〇時迄で二時間さ。此の手紙も受取りしだい焼いて下さい。又他人にも俺より手紙が来た事、口外せぬ様御願ひ致します。ではご多忙の折柄、くれぐれも御体御大切に。
               精一より
 父上様
 
 
【耕作安三郎様宛葉書】(発信地・大分県宇佐海軍航空隊)
 前略、虫の音も次第に遠く、膚寒くなりましたね。其の后長らく御無沙汰致しましたが、皆様には御変りありませぬか、御伺ひ申上げます。私の事は相変らず元気一杯、軍務に精励致してゐます故、何卒御安心下さい。決戦に次ぐ決戦の時、皆様には一層御体を大切に御働の程を御祈り致します。
敬具
 
 
 【耕作安三郎様宛封書】(発信地・同前)
 拝啓
 御手紙有難う。其の後皆元気の由、実に喜ばしき事で有ります。私も相変らず張切つて軍務に励んでゐます故、御安心下さい。寒さに向ふ折から、父母始め一同様にはくれぐれも御体御大切に御働の程を御祈り致します。
 又先日写した写真が出来ました故、御送り致します。
                 精一より
 父上様
 
 
 【耕作安三郎様宛葉書】20.3.□  (発信地・大分県中津市)
 拝啓、其の后長らく御無沙汰致しましたが、皆様には御変りなく御働の事と存じます。私も至極元気で、毎日元気一杯で通つてゐます故、他事乍ら御安心下さい。戦機愈々重大なる秋、くれぐれも御体大切に。       
                           敬具
 
 
【耕作安三郎様宛封書】[遺書(最後の手紙)]
 前略
 父母様、其の后元気ですか。私も至極元気です。愈々戦機重大なる秋、私も神風特攻ノ一員として桜花の如く散つて行きます。泣かずに笑つて下さい。
六日、十二日の攻撃に出ました。十二日の攻撃には、世界十二億中一番好きであつた戦友(倉田・二人で写つてゐる左)をうしなつた。(倉田一ひ曹は、高知県安芸郡室戸町河原町《倉田久専》ノ一人男である)俺とは三年間毎夜一緒にゐた戦友中の戦友である。本籍地トノ交サイを御願致します。私は今出撃する前夜です。時間がない故これにて。
 元気で暮し下さる様御祈りして、私は永遠の道に進む。
 其れから十二日の出撃前の一億の皆様に一言云つた事が(二〇~二五日)に全国に放ソウされる故聴き下さい。
            では さやうなら
 
 
【遺書】
       四月十五日
    ○一○○
我れ后二十四時間以内に永遠の道に着く。
母さん泣かないでね。
兄さん父上様には酒を飲ませてね。
  
(四月十六日)(十五日の文の用紙の裏面に十六日の分が走り書きされてゐる。)
拝啓、今日も月清明にて出撃せず。而し明日は愈々特攻々撃の決行さる。
懐しの倉田とは、靖国の下で又会ふ。倉田の故郷との交際を御願する。
では父母、兄さん、妹、姉さん、さやうなら。
 注・この遺書、通信筒に依り投下されたものの由。「兄さん父上様には酒を飲ませてね。」とありますが、その兄、行雄氏の想ひ出話に依れば、御父君は大変お酒がお好きであつたので、精一命は「自分が戦死したら、国から幾何かの扶助料が出るから、それで充分にお酒を飲ませてあげて欲しい」とのお気持であつたと云ふ事です。このやうなやさしい心は英霊に共通なお心で、こんなやさしい心があればこそ、お国の為に御奉公が出来たのではないでせうか。
   



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