御英靈のお話11 横山哲也 命

%E6%A8%AA%E6%B2%A2%EF%BC%91.bmp昭和十八年四月十四日
ニユーギニア東部方面にて戦死
海軍甲種飛行予科練習生第五期生
氷見市鞍川出身 二十歳
 
「陣中日誌」
「陣中日誌」は、遺骨が帰る以前に、遺品として軍帽と共に戦友の方によつて届けられた。日誌には、弟 隼人さんが、陸軍幼年学校(仙台)に合格されたことを大変喜んでをられることや、シャワー代りのスコールや、配給のお酒を楽しみにしてをられる様などが処々に記されてゐますが、中でも胸打たれるのが、正に命を捧げられた最前線での軍務です。横澤哲也命は南方の離れ小島の基地に在つて日夜、索敵、接触と云ふ、言はば最前線中の最前線に従軍してをられたのです。暑ければ冷房、汗をかけばシャワーと言つた現代人には、想像もつかないやうな炎熱の最前線に、祖国防衛の使命感に燃えて困苦欠乏に克く耐へられた御祭神の崇高な精神に、今に生かされてゐる我々は心からなる感謝の念を捧げなければならないと、この日誌を読めば、改めて痛感させられる。

遺芳館アナウンスガイド11
横山 哲也命(よこやま てつやのみこと)
 海軍甲種飛行予科練習生第五期生
 ニューギニア東部方面にて戰死
 氷見市出身 二十二歳

 ラビ攻撃作戰の最中、ニューギニア東部海域にて戰死。
 横澤家は、昭和十八年當時、長兄 尭さんが応召され戰地へ、三男 隼人さんが、陸軍幼年学校(仙台四十七期)に在学中であり、留守宅は、女だけの世帯だつたと言ふ。
 さういふ中にあつて、哲也さんの遺骨が帰られるといふ前々日に、お母様の実の母上様がご逝去される悲しみが重なり、行くに行けない何ともなさけない悲しい思ひをされた。白木の箱は、代りに姉上様が受け取りに行かれたとのことです。
 陣中日記は、遺骨が帰るまでに、遺品として軍帽とともに戰友の方によつて届けられた大変貴重なものです。日記には、弟 隼人さんが、陸軍幼年学校に合格されたことを大変喜んでおられることや、シャワー代りのスコールや、配給のお酒を楽しみにしてをられる様などが處々に記されてゐますが、中でも胸打たれるのが、正に命を捧げられた最前線での軍務です。横澤哲也命は南方離れ小島の基地に在つて日夜、索敵觸接と云ふ、言はば最前線中の最前線に従事してをられたのです。暑ければ冷房、汗をかけばシャワーと言つた現代人には、想像もつかないやうな炎熱の最前線に、祖國防衛の使命感に燃えて困苦缼乏に克く耐へられた御祭神の崇高な精神に、今に生かされてゐる我々には心からなる感謝の念を捧げなければならないと、この日記を読めば、改めて痛感させられます。
 昭和十八年より戰死する約四ケ月間陣中日記として記されたことは、大変な精神力の持主であつたと思はれます。
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