富山縣護國神社
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八月の御製板を奉掲致しました。(平成十九年八月一日)

   秋深き夜の海原にいさり火の
      ひかりのあまたつらなれる見ゆ

 
  昭和三十三年第十三回国民体育大会秋季大会に行幸啓の御砌、二十一日の行在所となつた氷見市の譽一山荘より、夜の海に漁をする漁船の灯りを望み給ひし御製です。この御製には「氷見の宿」の御題が付けられてゐますが、昭和三十四年その「氷見の宿」の向ひに御製碑が建立されました。
 三千メートル級の立山連峰を始め、多くの山々に囲まれた富山湾は、その山々を縫つて流れ込む水量豊富な七大河川等々のお蔭で魚の餌となるプランクトンも多く発生し、漁場としては絶好の環境と言はれてゐます。氷見、新湊、魚津等全国的にも有名な漁港の多い所以です。この御製には「秋深き夜の海」そして「いさり火」とありますので、これは氷見沖の烏賊漁の様子を天覧遊ばされての玉詠でありませう。
 両陛下の此の日の御動静は富山大学から始まり庄川の紡績工場、新湊の放生津保育園、高岡市の化学工場、伏木港と御視察を重ね給ひ、行在所にお入りの後も高岡高校生物クラブの収集した中部日本海岸産の後鰓類の標本を天覧遊ばされました。
 越中路に、漁火(いさりび)を詠ませ給ふ御製には自づから万葉の古歌が思はれます。その古歌の舞台は「能登の海」ですが、「有磯の海」と距離的にも、さう違はないでせうから。
   万葉集巻第十二。詠み人知らず(澤瀉久孝著『万葉集注釈』より)
    能登の海に釣する海人(あま)の漁火の光にい行け月待ちがてり
     口訳―能登の海に釣をする海人の漁火の光に照されてお行きなさい。月の出を待ちながら。
 暗い夜の海に、数多の漁火が連なる様は本当に明るいものです。万葉の古(いにしへ)と昭和の御代とでは熱源も違へば明るさも勿論段違ひではありませうが「漁火の光に照されてお行きなさい」と歌はれる如く、夫々の時代なりに其の明るさは強(あなが)ち誇張とも言へないくらゐなのです。天皇様は能登に近い氷見の漁火を天覧遊ばされて、この万葉の古歌に思ひを馳せ給ひしにやと、恐れながら拝察申し上げる次第です。
 なほ、昭和六十年に鳥取県での国民体育大会の御砌にも「米子市にて」の御題にて「漁火」を詠み給ひました。
   あまたなるいか釣り舟の漁火は夜のうなばらにかがやきて見ゆ
 御製の総てが公表される訳ではありませんが、少なくとも公表されてゐる昭和天皇御製の中で「漁火」を詠み給ひしは「氷見の宿」と「米子市にて」の二首だけであらうと思はれます。

富山縣護國神社
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