平成19年 5月 12日

五月の御製板を奉掲致しました。

御ほとけにつかふる尼のはぐくみに
        たのしく遊ぶ子らの花園


昭和三十三年第十三回国民体育大会秋季大会に行幸啓の御砌、当時の社会福祉法人「ルンビニ園」に行幸啓遊ばされた折の御製です。「ルンビニ園」は戦後、戦災孤児を収容し、親代りに養育せんとの慈悲心から、当地(当時は上新川郡婦南村。今は富山市中布目)の霊眼寺住職谷口節道禅尼が創設した施設ですが、其の後種々の家庭の事情に依り、養育不能の子供達をも収容するやうになりました。「ルンビニ」とはネパール南部タラーイ地方の地名で仏様の御誕生地と言ひ伝へられてゐる所です。
 皇室では御歴代に亘り、老人や子供、中でも、幸(さち)薄い国民には殊に慈愛の御目を注いでをられますが、昭和天皇は「ルンビニ園」にはこの時までに既に九回御下賜金を下されてをられました。
 両陛下は谷口園長の「戦災孤児のお母さんになりたいと思ひ、お寺を開放したのが何時の間にか一般の孤児も収容するやうになりました」「周囲の暖かい援助で子供達は幸せを取り戻したやうです」等々の御報告に深く感動し給ひ、天皇様は「これからも一所懸命努力して、可哀想な子供達を助け、立派な社会事業をするやうに」との御言葉を賜りました。そして、遊戯をしたり絵本を見たりしてゐる子供達を御覧遊ばして、施設内をお回りなつて、二階の中学生、高校生の所へお回りの為、階段を昇られた時に、皇后様に「お母さん」と呼び掛けた子がゐました。それは父は亡くなり、母は病気といふ寂しい環境に育つた七歳の子でした。皇后様は微笑み給ひ、二、三段昇りかけた階段を降りて、慈愛に満ちた眼差しでその子を見つめられたのですが、それは正に「国母(こくぼ)陛下―国民全体の母親であらせられる皇后陛下」の尊くもお優しいお姿でありました。そして、中学生、高校生には、天皇様は「勉強して立派な人になるやうに」、皇后様は「体を大事に」と励まされたのです。
 皇后様(香淳皇后)は昭和三十一年に「福祉事業」の御題にて「母とよびわれによりくる幼な子のさちをいのりてかしらなでやる」とお詠み遊ばされました。皇后様は正に「国母陛下」にあらせられるのです。
 なほ、ルンビニ園ではこの行幸啓を永く記念すべく、翌三十四年浄財を仰いで行幸啓記念館を建設し、更に御製碑を建立しました。当時の侍従入江相政氏揮毫のルンビニ園の御製碑には「みほとけにつかふる尼のはくくみにたのしく遊ふ子らの花その」と刻まれてゐます。