平成20年 2月 1日

二月の御製板を奉掲致しました。

 ときどきの雨ふるなかを若人の
        足なみそろへ進むををしさ
  
 昭和三十三年十月十九日から二十三日の五日間に亘り、天皇皇后両陛下の行幸啓を仰ぎ奉り、第十三回国民体育大会秋季大会が富山県内各地を会場に挙行されました。本大会には当時の四十六都道府県を始め、復帰前の沖縄から、又、初参加のブラジルからも合せて、総勢一万四千名の選手団が参加しました
 両陛下は十八日午前九時半皇居御出門、午後六時半お召列車は秋雨けぶる富山駅に湧き上がる「万歳」の声の中に到着。富山県警音楽隊の国歌吹奏裡に、菊花御紋章の金色燦然たる小豆色のお召車に御乗車。駅構内から本日の行在所電気ビルホテルの間には、四万五千名の県民が日の丸の小旗を打ち振り、万歳を連呼して奉迎申し上げました。
 十九日は先づ県庁にて吉田知事に県政の概況、特に「稲の作柄」「富山県の結核患者が激減したさうであるが、それはどうしてか」「立山、黒部の自然保護」に就いて御下問(お聞き質(ただ)しになる)。知事は「収量予想は百八十万石から二百万石」「特に農家に台所改善を呼び掛けたのが効果的」「高山動植物保護に腐心するも、不心得な登山者もをり困つてゐます」と奉答申し上げた。次いで屋上より国見遊ばされ、十一年前の一面の焼土から、今日ここまで復興した様子をお喜び遊ばされました。その折の御製が「県庁の屋上にしてこの町の立ちなほりたる姿をぞ見る」(四月奉掲の御製)なのです。これに引続き県庁内に特設された天覧室にて産業御奨励の思召しにより繊維、化学、医薬、機械、金属、銅器、漆器、農産、水産、木工、菓子、清酒等々縫針のやうな雑貨品に至るまで総数二百四十八点にのぼる品々を天覧遊ばされたのです。尚この後自治功労者等に謁を賜りましたが、特に県遺族会舘会長以下十七名の遺族会役員は両陛下より優(いう)渥(あく)(極めて懇ろ)なる御言葉を賜るの栄に浴しました。
 十時五十五分、両陛下富山陸上競技場に着御。自衛隊中央音楽隊、県警音楽隊、県下中高校ブラスバンドと総勢五百名が勇壮なる楽の音と共に入場、「富山県民の歌」合唱、打上げ花火十発、十時五十八分、両陛下国歌吹奏裡に貴賓席に、そして立山の峰々に響けと高らかにファンファーレが鳴渡り、開式宣告、愈々大選手団の入場行進が開始された。その行進の殿は本県選手団六百五十七名。ワインレッドのウェアに純白のズボン。総員整列、吉田知事開会宣言があつて、聖火の最終走者岩川県体協副会長が聖火台に点火、国旗、聖炎旗掲揚、「若い力」合唱、文部大臣挨拶等があり、天皇陛下より御言葉を賜つた後、選手宣誓、この時七百羽の鳩、三千五百個の七色の風船が舞ひ上がり開会式の最後を見事に飾つたのです。この御製は、その折、「ときどきの雨」をものともせず堂々溌溂たる行進を続ける若人、次代を担ふ青年を見(み)行(そな)はして、その「ををしさ」を称へ給ひし御製なのです。