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令和7年 6月 27日
特攻戰死慰靈大祭の御報告
6月23日(月)「沖縄慰靈の日」、そぼ降る雨の中、第七回目の特攻戰死慰靈大祭を斎行申上げました。
特攻戰死慰靈大祭は、故郷を守らうと命を懸けて戰つた特攻隊員の御靈(みたま)を慰靈し、その崇高な精神を次の世代にも伝へてゆかなければならないといふ宮司の強い思ひで、令和元年より斎行申上げてをります。本年は終戦より80年を迎へる節目の年であります。御神前に當神社刀剣美術顧問の田代文雄様が、今年の春季例大祭に先立ち奉納された拵を奉献し、斎行申上げました。
その拵には、後醍醐天皇の皇子、宗良親王の御歌
「君がため世のため何か惜からむ 捨ててかひある命なりせば」
が刻まれてゐます。
祭典では、宮司が御靈を慰靈顕彰申上げる祝詞を奏上し、特攻隊員70柱の御名を読み上げ、祝詞奏上後には、御神前にて「いでたちの舞」を奉奏しました。
「いでたちの舞」は、昭和二十年五月十三日、飛行第二十戰隊陸軍伍長として台湾宜蘭基地を出撃、沖縄本島西海岸に群がる米艦船に体当たり、特攻戰死された高田豊志命が、「お母さま」にのこされた
「夢にだに 忘れぬ母の 涙をば いだきて三途の 橋をわたらむ」
といふ和歌に、平成七年の終戰五十周年に宮司が補作、牧田明子翁雅楽会長により、曲と舞が創作されたものであります。この歌は、當神社にお祀りされてゐる二万八千六百八十二柱の英霊すべてのこころをあらはしてゐるとの思ひから、神楽「いでたちの舞」の元歌とさせていただいた。
舞の奉奏後には、参列者が一組ずつ玉串を奉りて拜礼致しました。
祭典終了の後には、宮司が御挨拶申上げ、あはせて御神前に奉献されてある拵について説明申上げました。
舞の奉奏後には、参列者がお一組ずつ玉串を奉りて拜礼、祭典終了の後は旧海軍甲種飛行予科練習生をたたへる「甲飛の碑」と旧陸軍少年飛行兵を慰靈顕彰する「つばさの塔」の前を巡拝し、一同黙祷を捧げました。