令和7年 9月 20日

第二十四回元服登拜の御報告

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富山縣護國神社では、令和七年八月二十日より二十二日までの二泊三日の行程にて「第二十四回元服登拜」を開催。小学校五年生~高校二年生の七名の隊員を含め十二名で実施した。

霊峰立山は、大宝元年(七百一年)佐伯有頼により開山され、古来より修験道の山であり、万葉の時代には「神々が宿る山」とも知られる。越中富山には男子の数へ十五歳に雄山神社峰本社に登拜する事により一人前の青年として認められる習はしがある。大切な青年期に、登拜を通じて、正しい日本の歴史・世界史を学び、祖先の恩と自然の惠に感謝し、心身を養ふ事を目的として當神社で平成十二年より行つてゐる。

ガイドに立山案内人組合初代会長を務めた佐伯平蔵の曽孫にあたる佐伯知彦氏(四代目平蔵)、また立山の自然や植生についての解説を當神社林苑顧問で富山県自然保護協会の大宮徹氏に依頼した。

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初日、初めて参加する隊員は不安と緊張の面持ちで神社に集合。結成式では、栂野守雄宮司より隊旗と、各々に鉢巻と無事を祈る御守が授与された。次に隊長の栂野高広禰宜より訓示、協賛団体の富山みらいロータリークラブ岡﨑稔会長より激励の言葉をいただき出発した。一同は、立山駅までバスで向かひ、ケーブルカーなどを乗り継いで室堂に到着し、最初に浄土山を目指した。山頂には、富山縣出身の戰歿御英霊を祀る「軍人靈碑」がある。碑は長年の月日と自然の猛威により一時朽ちてわからぬほどの姿であつた。しかし元服立山登拜が契機となり、数多の人々のご協力により平成十七年の第六回元服登拜に合はせて再建除幕式を行つた。その所縁深い浄土山で、日清戦争百三十年、日露戰爭戰捷百二十年竝に大東亜戰爭終戦八十年の意義深い年に慰靈の誠を捧げた。

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二日目は霧がかかる中、雄山山頂を目指し出発。途中三ノ越では、昭和天皇がお詠みになられた「立山の 空に聳ゆる 雄々しさに ならへとぞ思ふ 御代の姿も」と巨岩に刻まれた御製碑を拜し、一同奉唱し、併せて皇居を遥拜した。その後、雄山神社峰本社に登頂。元服登拜成就祭を受け、達成感で疲れも感じさせぬ元気な声で万歳三唱をした。続いて立山最高峰の大汝山・富士の折立を縦走し眞砂嶽を経由して、最後の目標である別山に登頂。無事立山三山縦走を成し遂げたのである。

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班長を務めた高校二年生の石坂隊員は山岳部にも所属してをり、疲労で遅れる隊員を励ましながら、浮石などの危険個所を教へる様子なども見られ、他人を思ひやる姿に感動を覚えた。

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最終日は、雷鳥沢より天狗平にむけ出発。道すがら大宮顧問より高山植物や地形の特徴などの説明を受けながら天狗平に到着し、一同は無事に下山。神社到着後の修了式では、宮司が隊員一人ひとりに修了書を授け、無事に「元服立山登拜」を完遂した事を讃へた。

「元服立山登拜」は、健全なる日本人を育む重要な行事であることを改めて確信したのである。

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